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沖縄は独立国として、戦争の責任をその加害国に要求すべきだと思います。茨木のり子の金子光晴・評

2020年3月4日 水曜日

茨木のり子 言の葉さやげ 花神社 1975年(私の持っているのは新装版;茨木のり子の随筆集)

・・戦時中、彼(金子光晴)が反戦詩を書きつづけるエネルギーとなったもの、その一要素は「日本の民衆の面従腹背に賭ける」ということだったのだ。だから敗けたとき腹背のほうがあらわに立ち現れ、今までと全く様相を異にする社会を期待したのだったが、「みんながみんなアメリカ人になってしまいそうな勢い」で、・・・・・以下略・・・(茨木、金子光晴ーーその言葉たち、同書、p158)

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「あなたにとっての沖縄とは?」

金子光晴:「沖縄は独立国として、戦争の責任をその加害国に要求すべきだと思います」

ここに到って、スカッとしたものがきた。画一化された答えの多かった中で、唯一に近い人間の声を聞いたように思った。(茨木、金子光晴ーーその言葉たち、同書、p159)

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水から首だけ出して見送る子よ。

かまはず、丸裸で追駈けろ。それが、君の革命なのだよ!

(「詩のかたちで書かれた一つの物語」)

 安南国の伝説に仮託して書かれたこの詩にも、自画像は見てとれる。猿股までも盗まれて、すっぱだかになることが革命だったのであり、金子光晴らしく、あくまでもたった一人の革命だったのであり、あまりにも個人的事情によるそれでありながら、底深いところから他者をも鼓舞する声ともなろうとは!

(茨木、金子光晴ーーその言葉たち、同書、p190-191)

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補註: 長いこと入院していて、座っていることもままならず、小さな字も読めなかったため、大きな字の本がいいと思って、茨木のり子の詩集をなんでもいいから持ってきてくれと頼んだら、届いたのがこの随筆集。字は若干大きめながらも、入院の身にはつらい。それでも私の好きな茨木のり子による、茨木のり子の大好きな(そして私HH自身の好きな)金子光晴へのオマージュとなれば、再び読まないではいられなかったのである。

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