culture & history

国民政府内部から奉天派内にまでゆき渡っていたコミンテルンの政治工作

2023年1月1日 日曜日

加藤康男 謎解き「張作霖爆殺事件」 PHP新書 2011年

 ・・張学良の一連の行動を考えるとき常につきまとうのが、彼の背後にうかがえるコミンテルンの影である。

 この時期になると、激越な排日学生運動と労農運動、民族主義運動などをうまく利用したコミンテルンの指導が、国民政府内部から奉天派内にまでゆき渡っていた。

 それは中国の共産革命を支援するためのコミンテルン政治工作に伴うもので、国民政府軍の中に浸透していた学生共産党員の数は相当数だったといわれる。

 彼らは国民政府軍の内部に潜入し、兵や民衆を煽動しては日本人居留民などを襲った。

 蔣介石の北伐開始に寄りそう形で発生した南京事件(昭和二年三月)や済南事件(昭和三年五月)はその代表例であろう。

 いずれも目を覆いたくなるほどの残虐非道な暴行や強奪行為が在留邦人に対して行われた事件であり、共産党によって引き金が引かれたことは疑いない。

 ・・日本軍による奇襲攻撃であるかのように扱われている一九三七(昭和十二)年八月に起きた第二次上海事変も、実際には国民政府軍内にいた秘密共産党員張治中による謀略だった。

 このような山東半島や上海における騒乱の背景には、必ず国民党内の共産党分子が火付け役を演じていた事実は近年になって明白になったことが多く、当時は知られていない。(加藤、同書、p158-159)

・・だがこの時代、まだ背景にあったコミンテルンの陰謀は誰にも見抜けなかった。(加藤、同書、p159)

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