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張作霖の排除、そして満州で張り合うソ連と日本: イギリス公文書館に残された外交極秘資料

2023年1月1日 日曜日

加藤康男 謎解き「張作霖爆殺事件」 PHP新書 2011年

・・一九二八年当時イギリス情報局では、これ(=MI6)とは別個に極東担当の特務機関としてMI2c(陸軍情報部極東課)も活動させており、そのため大使館から本国への情報はMI6とMI2cが競い合うかたちで挙げてくる場合が見られる。・・今回、高度な国家機密を伴うこうした情報が入手できたのは、イギリス公文書館が二〇〇七年にかなりの情報開示をした結果である。

  一九二九年二月に日本の国会で、この問題についてさんざん質問攻めにあったにもかかわらず、首相(=田中義一)も陸相(=)も日本の無実を示す証拠を出さなかったし、無実を主張することもしなかった。(WO106/5750)

 イギリスの外交文書を閲覧すると、イギリスによる情報活動はソヴィエトの深い関与を注意深く見守っていたことがよくわかる。  決定的な証拠はまだない、としながらもたとえば「ソ連が事件を引き起こした可能性には、一定の形跡がある」(F4598/7/10)とはっきり述べている。

 「張作霖の死に対するメモ」と題されたその極秘資料を整理すれば、おおむね次のようになる。

 a.ソ連は日本に劣らない満州進出・開拓計画を持っていた。

 b.一九二七年四月の(補註:張作霖による)在北京ソ連大使館襲撃以来、張作霖は万里の長城の内側でも外側でも、自らの支配地でソ連に最も強硬に反抗してきた。

 c.ソ連は張作霖と日本を反目させ、間接的にソ連自身の計画を進展させたいと願った上でのことだった。

 d.満州で張り合うソ連と日本の野望は、張作霖がある程度両国を争わせるようにした側面がある。・・張作霖の強い個性と中国での権利を守ろうとする決意は、ソ連が満州での野望を実現する上での一番の障害であった。そのため張作霖の排除と、それに代わる扱いにくくない指導者への置き換えは、ソ連にとって魅力的な選択肢であったと思える。(WO106/5750)

 イギリス外交文書の指摘は、なかなか鋭い分析を試みている。(加藤、同書、p151-153)

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 補註: フレミングのスパイもの・・ショーン・コネリー扮する007 ジェームズ・ボンドなどを想い描いていただけるとどことなくイギリス外交文書の臨場感がアップすると思います。なお、余談になりますが、私は個人的持論として「野望」というようなバイアスを伴いがちな言葉遣いが好きになれません。が、上記引用は原文通りといたしました。ご了解ください。

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