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稲の日本史: イネと稲作の年表

佐藤洋一郎 稲の日本史 角川選書

2024年1月27日

旧来の年表と比べて明らかに違っている点は以下の二点である:

A)まず縄文時代と弥生時代を分ける仕切りがほとんどなくなった点である。(中略)イネと稲作の断絶は今まで考えられてきたよりずっとちいさい。

B)第二の相違点は、弥生時代以降の水稲と水田稲作のひろまりの捉え方にある。・・縄文の要素である熱帯ジャポニカと休耕田だらけの田の姿はなんと中世末までの列島各地で支配的で、今私たちが目の当たりにするイネや水田の景観は近世以降になってやっと登場したものである。弥生時代に始まった「水田稲作」の景観はおそらく今の時代に住む私たちの常識からはおよそ「水田」とは認めがたいほどに、雑で、反面おおらかなものであった。

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 ・・「稲の日本史」は歴史を大きく五つの時代に区分する。

1)〜6000年前まで: 一番古い時代はもちろんイネのなかった時代である。この時代には、生活の糧の主な部分は狩猟と採集によっていたが、部分的には原始的な農業も行われていた。青森県の三内丸山遺跡はこの文化期の典型的な遺跡の一つ(中略)。三内丸山遺跡に巨大集落が誕生したその頃、西日本各地ではイネの栽培がほそぼそと始まっていたのである。

2)6000年〜2400年前まで: 次の時代は縄文の要素が拡大した時代である。この時代が始まるのは、今までの発掘成果によれば、西日本では6000年ほど前(縄文時代の前期から中期頃)、東日本ではずっと遅れて3000年ほど前(縄文時代の後期頃)と、大きな開きが見られる。この時代、イネと稲作は、列島の南西部では相当の広がりを見せ、食糧生産の柱の一つになっていた可能性が高い。(中略)

3)2400年〜800年前まで(西暦紀元前400年〜西暦1200年頃まで): 第三の時代は大陸から水田稲作の技術が持ち込まれた時期(縄文時代の晩期ころ)に始まった。この時代は列島のほぼ全体で中世の終わり頃まで続く。この時代は縄文の要素がせめぎ合った時代で、弥生の要素は約1500年かかって・・日本列島のほぼ全体にゆきわたる。

4)800年〜150年前まで(西暦1200年〜1870年頃まで): 第四の時代が、水田稲作(弥生の要素)が定着した時代。近世から近代初期までがこの時代に含まれる。

5)(1870年〜2020年頃まで)第五の時代が近代から現代に至る時代で、稲作もまた西洋の近代化の洗礼をまともに受けた。(中略)

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