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ザッパー 愛の一家 あるドイツの冬物語

2017年1月8日 日曜日 晴れ

アグネス・ザッパー 愛の一家 あるドイツの冬物語 遠山明子・訳 福音館文庫 2012年

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補註 「愛の一家」ーーー50年前の私の愛読書、その新訳版
 本書は、私とほぼ同年代のドイツ文学翻訳者・遠山明子氏(昭和56年生まれ)による原著の全訳。今まで出版されていた日本語翻訳の多くは抄訳版であったとのこと。私が小学校の頃に読んだ「愛の一家」は、イタリアのアミーチス「クオレ」とともに、私の少年時代の愛読書の一つ。少年少女文学全集にあったものである。遠山氏が子供の頃に読んだのと同じ一冊かもしれない。
 ちなみに、ドイツ語原書のタイトルはペフリング一家 “Die Familie Pfeffling” だが、日本では「愛の一家」で親しまれてきたので、今回の新訳でもそれを踏襲されたそうだ(同書、訳者あとがき、p455)。私たちオールド・ファンにとっては有難く、貴重な配慮である。少し遅まきながら、この新訳を私たちの息子の世代にプレゼントし、望むらくは、近い将来さらに、その子供たちにもプレゼントしたいと思う。

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・・雪景色はつねに美しいものです。でもなんといってもすばらしいのは、音もなく降る雪が、ドイツのクリスマスの、なんとも神秘に満ちた魅力と結びついていることです。
 十二月。雪。もみの木。クリスマス。わたしたちの国ドイツでは、そうしたものがひとつに結びついています。多くの国がドイツのクリスマスをまねようとしました。わたしたちもその喜びを惜しみなくわかちあおうとしました。けれどもこういう風習は、その土地に根ざしています。人工的に植えかえると、ちがったものになってしまいます。(アグネス・ザッパー、同書、p130-131)

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・・あれだけの高い入場料を取るなら上流階級の人間だけが集まるにちがいない、と母上がいったんだとさ。こっちはふきげんにもなろうってものさ!」
「ふきげん?」ペフリング婦人が聞き返しました。「あなたとふきげん? とても結びつかないわ」(同書、p278)

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補註 賢妻良母:ペフリング婦人
ペフリング婦人のモデルは、アグネス・ザッパー女史のお母さん、とのこと。お母さんのことをもっと描いたザッパー本を読んでみたいと思う。(簡単に調べたところでは、日本語で読める翻訳は出版されていないようだ。)

賢くて優しい妻・お母さん・・・を描いた家庭小説として、どんなものがあげられるだろうか。これからの読書の中で、折に触れ、紹介していきたいと思う。

森鴎外の安井婦人・・・「美しい目の視線は遠い、遠いところに注がれてゐた」お佐代さんを思い出すのだが、・・鴎外氏にはもっと詳しく長く描いて欲しかった・・資料がないので難しい・・伝記では伝えられない領域は、どうしても創作小説という手法を取らざるを得ないかもしれない。(補註##)

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補註## 「安井夫人」について

不生庵さんが安井夫人について紹介している。以下引用。http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/profile.html

現世を容認せず、しかし何時とも知れぬ遠い未来に望みを嘱して生きている単独者は、すべてアナーキストなのだ。その意味では、鴎外によって描かれた「安井夫人」もアナーキストの一人なのである。鴎外は書いている。

 お佐代さんは必ずや未来に何物をか望んでゐただらう。そ
して瞑目するまで、美しい目の視線は遠い、遠い所に注がれ
てゐて、或は自分の死を不幸だと感ずる余裕をも有せなかっ
たのではあるまいか。其望の対象をば、或は何物ともしかと
弁識してゐなかったのではあるまいか。

 また、別のウェブ「日本語と日本文化」さんのサイトでも簡潔・的確に紹介されている。以下引用。http://japanese.hix05.com/Literature/Ogai/ogai07.yasuihujin.html

森鴎外の小説「安井夫人」は、幕末の漢学者安井息軒とその妻佐代を描いたものである。・・テーマというほどのものがなく、息軒とその妻佐代の生涯を手短に淡々と綴ったこの小説は、小説というより、歴史上の人物に関する簡単な史伝といった趣を呈しているのである。

・・・(中略)・・・

息軒に嫁いできた後の佐代が、幸福であったかどうか、鴎外は多く筆を弄していない。佐代は終生夫に仕え、4人の女の子と2人の男の子を生んだ。そして51歳で死んだ。そんな佐代について、鴎外は次のように言うのみである。

「お佐代さんがどう云ふ女であったか。美しい肌に粗服を纏って、質素な忠平に仕へつつ一生を終った。

「お佐代さんは何を望んだか。世間の賢い人は夫の栄達を望んだのだと云ってしまふだろう。これを書く私もそれを否定することはできない。併し若し商人が資本を御し財利を謀るやうに、お佐代さんが労苦と忍耐とを夫に提供して、まだ報酬を得ぬうちに亡くなったのだといふなら、私は不敏にしてそれに同意することができない。

「お佐代さんは必ずや未来に何者をか望んでゐただらう。そして冥目するまで、美しい目の視線は遠い、遠いところに注がれてゐて、或は自分の死を不幸だと感ずる余裕を有せなかったのではあるまいか。其望の対象をば、或は何者とも弁識してゐなかったのではあるまいか。」

・・・(中略)・・・

鴎外は佐代の生き方の中に、自分の意思で自分の運命を受け止める強さを見て取ったのではないか。その結果は結果としてうけながそう、大事なのは、自分の意思で自分の人生を選び生きたという、その一事にある、そう鴎外は言いたかったのではないか。

安井夫人佐代に対する鴎外の同情は、やがて女性の美徳である献身ということについてのこだわりに発展していく。鴎外はこの献身をテーマにして「山椒大夫」を書き、また女の生き方を追求することから「渋江抽齋」を書き、その発展上に史伝三部作を完成させていくのである。(以上、「日本語と日本文化」のサイトから引用)

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