2022年2月26日 土曜日 曇り
神野正史 世界史劇場 正史三國志 ベレ出版 2017年
時、219年12月、享年58。 彼(関羽)の死は、単に「ひとりの猛将の死」を意味するものではありません。かれは“三國の要“となっていた荊州を守る守将。 彼の死は荊州の失陥を意味し、これを失ったことで三國のパワーバランスが大きく崩れたため、翌220年からの激動の時代の幕開けともなります。
・・・(中略)・・・ その関羽を失った今、劉備は理性を失い、自暴自棄となり、暴走を始め、もはや誰にも止められなくなっていきます。 “水魚の交わり”であった諸葛亮ですら。 蜀の崩壊は、関羽の死の瞬間から始まったと言ってよいかもしれません。(神野、同書、p302-303)
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出師の表:
臣亮言。
先帝創業未半、而中道崩殂。
今天下三分、益州疲弊。
此誠危急存亡之秋也。
・・
陛下亦宜自謀以咨諏善道、察納雅言、
深追先帝遺詔。
臣不勝受恩感激。
今当遠離、臨表涕泣、不知所伝。
左大臣さんのサイトより引用。https://kanshi.roudokus.com/suishi.html
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泣いて馬謖を斬る:
・・私情に駆られて大抜擢を行った諸葛亮は、私情を棄てて愛する者を処断せざるを得なくなったのでした。 「つかんだ!」と思った栄光は、するりとすり抜け、気がつけば大怪我。 諸葛亮が抱いたほんの少しの“私情”と、たったひとりの将の“功名心”が、国を傾けるほどの大敗を招き、結果的にこれを境として、蜀は本格的に衰勢に向かっていくことになるのでした。(神野、同書、p357)
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時280年、黄巾の乱より96年目のこと・・
戦乱の中から多くの群雄が各地に割拠し、それぞれが天下を目指しましたが、董卓の暴を以てしても、袁紹の家柄を以てしても、呂布の武を以てしても、曹操のカリスマを以てしても、劉備の血筋を以てしても、諸葛亮の智を以てしても、孫家の絆を以てしても、何人も天下を獲ること能わず、英雄が覇を競い、猛将が干戈を交え、軍師がしのぎを削って駆け抜けた96年は、諸葛亮が五丈原に没したあとに生まれた司馬炎によって攫われたのでした。・・・(中略)・・・
・・こうして、100年もの戦乱を経てようやく手にした統一は、わずか26年(280〜306年)で破れ、以降、今度は300年近くにわたる五胡十六国・南北朝という永き分裂時代へと突入していくことになります。
・・羅漢中の言葉が心に染み入りいます。 ーー別れて久しければ必ず合し、合して久しければ必ず分かるーー 歴史は繰り返す。延々と。(神野、同書、p452)
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