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人生の充実のかわりに、完全な孤立におちいっている「人間の孤立の時代」: たとえ一人でも人間はあえて手本をしめし、魂を、孤立から、兄弟愛による一体化というヒロイックな営みへ、導いていかなくてはいけません。

2023年1月30日 月曜日 晴れ(気温は低いのに、陽射しがあると暖かく感じる)

ドストエフスキー 亀山郁夫訳 カラマーゾフの兄弟2 光文社古典新訳文庫 2006年(原作は1879-1880年)

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 「人生こそ天国であるというのは・・わたしも、かなり前から考えていることです」・・「いつも、そればかり考えているんです」・・「天国は・・わたしたちひとりひとりのうちに隠されていて、現にわたしのなかにもそれがあり、わたしもその気になれば、明日にもじっさいに天国がわたしに訪れ、それがずうっと一生つづいていくんです」・・・(中略)・・・ 「・・これは精神的な、心理的な問題なんです。世界を新たに作りかえるには、人々は心理面で別の道へ方向を転じなくてはならないんです。じっさい、だれもがほんとうの兄弟にならないうちは、兄弟愛などやってはきません。人々はどんな学問、どんな利益をもってしても、恨みっこなしで財産や権利を分けあうことなどぜったいにできません。取り分が少ないと言ってはいつになっても不満をこぼし、人を羨み、殺しあったりしているんです。・・かならず実現することですが、そのためにはまず人間の孤立の時代が終わらなければなりません」・・「・・いまでは猫も杓子も自分をできるだけ目だたせることに夢中ですし、人生の充実を自分一人でも味わいたいと願っているからです。ところが、そうしたもろもろの努力の結果生まれてくるのは、まぎれもない自己喪失なのです。それというのも、自分の存在をはっきり際立たせてくれる人生の充実のかわりに、完全な孤立におちいっているからです。なにしろこの・・世紀においては、何もかもが細かい単位に分かれてしまい、すべての人が自分の穴に閉じこもり、他人から遠ざかり、自分自身を、自分が持っているものを隠し、ついには自分から人々に背を向け、自分から人々を遠ざける結果になっているからです。・・・(中略)・・・ 自分だけを頼みとすることになれ、一個の単位として全体から切りはなされて、人の助けとか、人間とか人類なんか信じないように自分の心を馴らして、ただただ自分のお金や、自分が勝ちえた権利がなくなってしまうのではないかとおびえているからです。(ドストエフスキー、同訳書、p407-410)

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 ・・個人の顔をまことに保証するものは、個人の孤立した努力のなかにではなく、人間全体の一体性のなかにこそあるといった考えなどを、人間の知性はいまやいたるところで鼻で笑い、まともに相手にしようともしません。

 しかし、いずれこの恐ろしい孤立にも終わりがきて、人々がばらばらに孤立していることがいかに不自然かということを、だれもがすぐに理解するようになることはまちがいありません。・・・(中略)・・・いえ、たとえ一人でも人間はあえて手本をしめし、魂を、孤立から、兄弟愛による一体化というヒロイックな営みへ、導いていかなくてはいけません。たとえ神がかりと見られようとも、です。それこそ偉大な思想を死なせないためなのです・・ (ドストエフスキー、同訳書、p410)

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Fyodor Dostoyevsky in 1876.

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