山本周五郎 泣き言はいわない 新潮文庫(平成6年発行のアンソロジー集)
・・とくに、“生”の肯定、“愛”の尊さ、の強調が、確信をもって語られている点に、新たな感銘を受けた。(木村久邇典、同書解説、p233)
<苦しみつつ、なお働け 安住を求めるな この世は巡礼である ストリンドベリイ>
ストリンドベリイは毎度予にとっては最も大きく且つ尊く良き師であり友である。予は涙をもって彼の名を口にする。(山本、「青べか日記」、昭和4年・1月15日)
山本はまたイギリスの詩人ブラウニングのつぎの言葉を好み、長編『火の杯』では、以下のように引用している。<「ブラウニングの詩にあったね、人の偉大さはなにを為したかではなく、なにかを為そうとするところにある、って・・・」>
山本周五郎は昭和3年から4年にかけての浦安時代、アメリカの天才民謡作曲家フォスターの伝記を読み、その生き方に心底から感動した。これにブラウニングの箴言を重ねて「私のフォスター伝」という表題で再構築しようとしたのだが、・・(木村、同書解説、p234)
**
補註:このウェブページでAIの助けを借りるのは今回が初めてです:
🔹 原文(英語):
“A man’s reach should exceed his grasp, or what’s a heaven for?”
🔹 出典(原著):
- Robert Browning, “Andrea del Sarto”(詩)
- 初出:1868年『Dramatis Personae』収録の詩
🔹 意味・訳(意訳):
「人の手の届く範囲は、その掌中よりも広くあるべきだ。でなければ、天というものが何のためにあるのか?」
🔹 詩の該当部分(原文)
以下は詩「Andrea del Sarto」の中での該当箇所の全文です:
“Ah, but a man’s reach should exceed his grasp,
Or what’s a heaven for?”
この行の直前から含めた、少し広い文脈もあわせてご紹介します:
“Well, less is more, Lucrezia: I am judged.
There burns a truer light of God in them,
In their vexed beating stuffed and stopped-up brain,
Heart, or whate’er else, than goes on to prompt
This low-pulsed forthright craftsman’s hand of mine.
Their works drop groundward, but themselves, I know,
Reach many a time a heaven’s gate, while I
Stoop earthward. I am mine own master still,
But such a master! All the same, I’ll go
And sit among the men and women dear to me,
And so begin to paint anew, no matter how
I fail! My works are mine,
But who, my soul, can reach my thoughts? Yet I
Paint it, and strive to make it true: I fail.
Ah, but a man’s reach should exceed his grasp,
Or what’s a heaven for?”
🔹 日本語訳(拙訳)
「ああ、だが人間の手が届く範囲(reach)は、実際に握りしめられるもの(grasp)を超えているべきだ。
でなければ、天とは何のためにあるのか?」
この一節全体の文脈を踏まえた翻訳(意訳)も記しておきます:
「彼らの脳や心は葛藤の中にあっても、そこにこそ真の神の光が宿っている。
彼らの作品は地に落ちても、その魂は天に届く。
私は今も自分の主だが、何という主か!
それでも私は、私の大切な人々のそばで再び絵を描き始めよう。
たとえまた失敗しようとも。
私の作品は私のものだ。
だが、私の魂よ、誰が私の思いにまで手が届くだろう?
それでも私は描こうとする、それを真実にしようと努力する、そしてまた失敗する。
ああ、それでもなお、人の手が届こうとするものは、掴めるものを超えていなければならない。
でなければ、天とは何のためにあるのだ?」
🔹 解説
この部分は、芸術家としての限界と理想への憧れ、完成には至らなくとも志こそが人間の本質であることを深く描いています。
「reach(理想・志)」と「grasp(実際の成果)」の対比が核心であり、後世の多くの思想家や芸術家がこの詩を引用し、自らを鼓舞してきました。
*****
HH補註:以下の画像は、山本周五郎 火の杯 角川文庫 p189 より。

**
*****
*********************************
