culture & history

田堵(たと)

2021年12月1日 水曜日 雨かつ暴風(かなりの雨量で朝から降り続く;農作業は午前中お休みして、午後から剪定作業)

**

西谷(にしたに)正浩 中世は核家族だったのか 民衆の暮らしと生き方 吉川弘文館 2021年(吉川弘文館の歴史文化ライブラリー524)

**

・・単純化すれば、領主は蕭衍の所有者、荘司はその管理者、田堵は農業経営者といってよい。ただし、田堵の経営規模は大小様々であり、なかには、下級貴族に相当する五位の位をもつような有力者もいた。ある所領では田堵だが、他では領主や荘司というケースもみられる。  領主と田堵は、毎年春に農民(補註=〜田堵)と領主が請文(うけぶみ、契約書)と充文(あてぶみ、任命書)を取り交わして、「一年請作(うけさく)」(一年間の請作)契約を結んだ。大開墾時代には、労働人口と比べて開発可能な土地が豊富に存在したから労働力に希少性があり、労働条件に不満があれば、田堵のほうから契約を解消した。領主は田堵をつなぎとめるために、田堵の農業経営を支援する勧農をおこなった。(西谷、同書、p30)

・・田堵は農業経営者を表す言葉だが、必ずしも専業農民というわけではない。(同、p31)

・・(荘園・村落の)住人には二つの階層が存在した。とくに「寄人(よりうど)」とよばあれる有力田堵とたんに「荘子(しょうじ)」とよばれるそれ以外の者たちである。(同、p32)

・・荘園の住人は、荘司・寄人とそれぞれの従者眷属からなるといったほうがより適切だろう。ただし、従者眷属の語には注意がいる。これもやはり緊密な間柄ではなく、かなり流動的な状況にあったとみなければならない。(同、p33-34)

**

*****

*********************************

RELATED POST