culture & history

中世の百姓(ひゃくしょう)

2021年12月1日

西谷「中世は核家族だったのか」2021年 吉川弘文館の歴史文化ライブラリー524

古代の荘園は、土地所有に基づく農業経営の組織であったが、11世紀後半の荘園整理令を契機に荘園の性格が大きく変化した。古代荘園は国(地方政府)の支配をうけたが、中世荘園では、荘内における国の権限(行政権)が委譲され、領主は地域の公的支配者となった。公領とならぶ一国の行政単位となった中世荘園では、荘園領主・荘官らが行政・司法を執りおこない、百姓に対して租税として年貢・公事を賦課した。(西谷、同書、p49-50)

中世の百姓については、古い学説では隷属制が強調されたが、今日では自由な存在と理解されている。百姓は荘地の耕作を請け負い、請作者である限りにおいて領主の支配をうけたが、自分の意志で領主との関係を解消して移住する権利をもっていた。つまり、現代の我々(市民)に通じる、中世の公民であった。(西谷、同書、p50)

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