2023年1月4日 水曜日
鈴木荘一 満州建国の真実 勉誠出版 2018年
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ソ連のモンゴル人民共和国建国と第一次五か年計画
・・ 新たなプレーヤーとして国際政治に登場した共産ソ連の影響力は、まず蒙古へ向かった。 蒙古では、ロシア革命七年後の大正十三年(一九二四年)七月、ソ連の援助を受けたモンゴル人民革命党が、ソ連を手本として、ソ連の保護国としてのモンゴル人民共和国を建国した。モンゴル人民共和国は、ソ連・コミンテルンの指導により親ソ路線をとり、昭和三年以降、遊牧民から私有家畜を没収しての牧畜集団化、富裕層の排除、仏教禁圧(補註#参照ください)など急進的な社会主義政策を断行。これに抵抗する遊牧民・富裕層・仏教僧ら多数を粛清・虐殺した。満州事変(昭和六年)の三年前、満州建国(昭和七年)の四年前のことである。
こののちモンゴル人民共和国は、スターリンの意向のもと、昭和十一年にソ連を模したモンゴル秘密警察を組織し、昭和十二年にソ連軍第五七特別軍団の大規模進駐を受容。以降、スターリン粛清をまねた大粛清で役人・軍人・富豪・僧侶など約四万人を処刑する。モンゴル人民共和国は、ソ連の保護国としての様相を深め、軍事力強化に邁進する。モンゴル兵は身体強健で肉弾格闘戦において満州兵・日本兵よりはるかに強靭だった。のちの昭和十四年のノモンハン事件で、ソ連軍はモンゴル人民共和国軍と連合して日本軍・満州国軍連合を完膚なきまで叩きのめして大勝する。(補註##)(鈴木荘一、同書、p120-121)
日本陸軍はソ連の南下とモンゴル人民共和国の建国・保護国化・軍国化を脅威とし、ソ連の保護国モンゴル人民共和国に対抗する日本の保護国として満州国を建国するのである。(同書、p121)
・・ソ連は経済面でも、・・昭和三年(一九二八年)から始まる第一次五か年計画(〜昭和七年)を成功させ、・・重工業・エネルギー面で驚異的な発展を遂げ(補註###)、国際政治の新たなプレーヤーとして周辺地域へ浸透・膨張を展開する。
国際社会のなかで最初に共産ソ連の圧迫を受け脅威を抱いたのが日本だったのである。(補註####)(同書、p121)
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補註# 何をもって共産主義と称するか、マルクス主義と称するか、簡略な未来理想の夢物語を聞かされた場合に私たちの頭は混乱させられがちです。が、本書上記の記載は簡略ながら要を得ています。
補註## 昭和十四年のノモンハン戦争 この戦争の日本側の損害は甚大、確かにその通りだった・・けれど、ソ連側の人的・物的損害に関しては極秘として扱われ、長年にわたって詳細不明とされていたようです。そのために、「日本軍・満州国軍連合を完膚なきまで叩きのめして大勝」したとされ、私たちもそのように習ってきました。しかし、後にソ連側の損害もまた非常に大きかったことが明かとなってきたとのこと。もしもこの戦況を、昭和十六年春の時点で日本側が精確に把握していたら北進 vs 南進(かつ西進)の戦略判断も大きく違っていたかと思われます。
補註### 「重工業・エネルギー面で驚異的な発展」・・1929年から始まる世界大恐慌の影響を被ることなく、この時期に驚異的な発展を遂げられた・・その技術力・マネーは一体どこからやってきていたのか? ・・ロックフェラーなどグローバリズム推進・共産主義支援のウォール街からの巨大なマネーと国際企業の先進的技術力が流れ込んだ、そして共産主義下の人々の低賃金労働力がそれを支えた、ーーこのことが理解できると、この不思議な謎・・この時期に世界の中で共産主義のソ連だけが大躍進できたことの意味が解明できるようです。(林千勝さんの近現代史講義シリーズにて当時のマネーと技術の流れに関して学びました。以下の図は林さんの電子書籍「七人の日本人とユダヤ」から引用します。)
また、この学びから敷衍して、ソ連崩壊後の近年三〇年ほどの間の、鄧 小平路線共産中国の大躍進の意味もつかめてきます。ITのハードを中心として世界の工場としての中国の成長の底流には、巨大なマネーと先進技術移行の流れ、そして中国の大勢の人々の低賃金労働がありました。
一方で、たとえば消費税増税など、わかりきっていながら悪いほうへ悪いほうへと自国の進路の舵取りをせざるを得ない日本の現状も、深いところでの底流が見えてくる気がいたします。つまり、優れた基盤技術開発やインフラ整備などを充実させる国富増強の投資ができず、海外(〜中国)へ海外へと生産拠点を移転し技術供与をしていった末の現在日本の低迷の意味も見えてくるように思われます。それに自覚と勇気をもって抗すことができず、無自覚に流れに棹さす指導者が多いのは本当に悔しいことではあるのですが。ただそれは確かに構造的な問題なので、一人の政治家が捨て身で英断すれば良い方向に舵を切ることができるというようなものではないのは明らめねばならないでしょう。
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補註#### 国際社会のなかで最初に共産ソ連の圧迫を受け脅威を抱いたのが日本だったのである。(同書、p121)・・とありますが、当時、グローバリズムが育てている共産ソ連であるということを見詰めてみれば、
・・アメリカ・ウォール街の本拠地アメリカと、実は同根のグローバリストが育てているソ連と、どちらか一方(普通に考えれば自由主義国アメリカ)が日本を守るために両者(米ソ)で闘ってくれるわけがなく、・・実は、日本がアメリカともソ連とも闘うという構図ができ上がりつつあったのです。そして実際に歴史はそのように展開してしまった。この構図を当時の日本がもう少しだけ深く理解できていれば、歴史の流れも別のものになったかも知れません。
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そしてまた、この視点は今からでも遅くない、価値ある考察視座だと思われます。(たとえば、当時の共産ソ連を、現在の習近平共産中国に置き替えて考えてみるだけでも拓けて見えてくるものがあります。)
石原莞爾の『世界最終戦論』(鈴木荘一、本書、p110〜111)については、当時(昭和三年〜昭和十五年)において視野広く世界を見詰めていたと思われます。
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