2019年11月3日 日曜日 晴れ
槌田敦 環境保護運動はどこが間違っているのか? JICC(ジック)出版局 1992年
<汚いものが世の中にはびこっている理由は、値段の問題に尽きる。>
・・でも、そのように農薬を使わなければ農業が成り立たないとすれば、やはり塩素系にかわる農薬が開発されるのを期待するしかない、ということになりませんか。
槌田 結局、そういう方法で対処していくよりしかたがないんじゃないかということです。ただ、ここで勘違いしないでほしいのは、科学技術が新しい農薬を開発できたとしても、それが商業ベースに乗らない限り無意味なんですね。では、なぜ商業ベースに乗らないかというと、塩素系の農薬が売られているからです。だから、毒物を経済的に抑えない限りは、かわりの物をつくってもそれは売れません。こうして、結局は値段の問題になるわけです。
汚いものが世の中にはびこっている理由は、値段問題に尽きるんです。水道水を塩素殺菌するのは安いからなんです。もし水道料金を値上げしていいというのならば、いくらでも方法はあるわけです。(槌田、同書、p118-119)
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もうすでに世界全体が汚染の時代に入ってしまっている:
安全な食品などどこにもない以上、僕は、毒であることが証明されていなければ何でも食べるのがいいんじゃないかと考えています。いろんなものを食べていると、毒は薄まります。・・自然食も含めてすべての食品に毒が入っているかもしれない時代に生きている我々にとって、毒物に対処するいちばんいい方法は、いろんなものを食べて、毒を薄めてわからなくしてしまう、ということなんじゃないかと思うんです。つまり、食品に対して大らかになることですね。
危険だとわかっているものは、当然食べない。けれども毒だとわかっていない限りにおいては、いろんなものを食べて、薄めてしまえばそれでいいんです。(槌田、同書、p112-113)
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