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いっぺんにこんなでっかい穴を掘っちゃいけませんや

2015年12月15日 火曜日 曇り

陳舜臣 青玉獅子香炉 中国仁侠伝 陳舜臣中国ライブラリー29 集英社 1999年 

 陜西(せんせい)地方では、もともと洞窟を住居とする風習があった。大邸宅といえる洞窟も少なくない。冬は暖かく、夏は涼しいのである。ところが、掘ってみると湿気が多くて、とても文物を収容できそうもない。・・・(中略)・・・「いっぺんに、こんなでっかい穴を掘っちゃいけませんや。わしら、どんな大きな家をつくるにも最初の年はちょっぴり掘って、しばらく住むんですよ。それから一年ほどして、またちょっと掘り進めるちゅう具合でね、何年もかかって拡げると、湿りゃしませんわ。」 (陳舜臣、同書、p40)

民衆の文化遺産は安全な土地をもとめて、李白が「蜀道の難(かた)きは、晴天に上るよりも難し」とうたった、その蜀道の険を超えることになったのである。それは千百八十年前、飢饉をのがれて杜甫が、秦州(しんしゅう)から成都へ赴いたコースでもあった。・・・(中略)・・・
 これ天の険を設(もう)くる有り
 剣門は天下の壮たり
 連山は西南を抱き
 石角(せきかく)は皆北に向かう
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痩せさらばえてこの地を通った詩聖を偲ぶのか、若い科長は杜甫の「剣門」を低い声で吟誦(ぎんしょう)した。(陳舜臣、同書、p40-41)

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注: 陜西(せんせい)<以下 http://www.weblio.jp/content/陜西省 より引用> 
都市: 延安、咸陽、銅川、漢中、渭南など。
概要 中国六大古都の一つ。

省名は陝原(現在の河南省陝県一帯)の西に位置したことに由来する。略称は陝以外にも、春秋時代、この地の大部分が秦の領土であったため秦ともいう。

高原部分が省面積の半分近くを占める。50-150センチの深さの黄土に覆われたこの地帯を、黄河が切り裂くように流れている。

麦、稲、黍、綿、桑、タバコの葉の生産が盛ん。また、石炭、機械、石油、電気機器、紡績などの工業も比較的盛ん。

歴史 中華文明発祥の地の一つ。80万年前には藍田猿人が生息し、20万年前には大茘人、6000年前には半坡人が居住していた。

西周時代は王朝の都となり陜西と名づけ、西安付近が首都・鍋京に定められた。

唐代に入ると陜西節度使が置かれ、都が長安に定められた。宋代には陜西路、元代では陜西行中書省、明代に陜西承宣布政使司が置かれた。その後清代に陜西省となる。

中国紅軍の「大長征」の後、中国共産党は省北部にある延安に中央根拠地を置いたため、「中国革命の聖地」として知られる。<以上、http://www.weblio.jp/content/陜西省 より、引用終わり>

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