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侠者は命も惜しまないが、名が伝わらないことも惜しまない。

陳舜臣 中国仁侠伝 陳舜臣中国ライブラリー29 集英社 1999年 

儒は静止の原理と変わったが、侠は依然として起動の引き金であった

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 世界を揺りうごかすものは、
 ーーー儒者と侠者。
 と、「韓非子」は述べた。
 儒者は文をもって法をみだし、侠者は武をもって禁を犯すから、という。
 しかしながら、漢帝国が儒を国教化して以来、儒者は体制のなかに組み込まれた。・・・(中略)・・・「史記」にも
 ーーーしかるに、学士(儒者)は多く世に称せられる。
 という文章がみえる。
 世の中に波風を立てるということで譏られていた儒者が、いつのまにかほめられ者になっているというのだ。
 その後二千年ものあいだ、儒は沢庵石のように、すこしでもうごめこうとするものを、おさえつけ、しめつけ、支配階層の人たちに奉仕してきた。
 儒は静止の原理と変わったが、侠は依然として起動の引き金であった。
 世界が動いてでもくれなければ、息がつまりそうで、どうにもたまらなくなると、人びとの心は熱っぽく侠者を慕うのである。・・・(中略)・・・
 侠者とは、他人のために、自分の身をかえりみないものである。・・・(中略)・・・
 わかりやすくいえば、作者(陳舜臣さん)は中国のますらおぶりを描きたいのである。(陳舜臣、荊軻、一片の心 同書、p63-64)

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 孟嘗君は、はたして任侠(にんきょう)の士であったろうか?
 他人のために命をなげうつのが侠であるとすれば、いささかあてはまらない。
 彼は、客を養い、そのために財産をなげうった。だが、命をではない。
 ・・・(中略)・・・
 この自刎(じふん)した者は、孟嘗君の食客でさえもない。・・・この名前も明記されず、史書の片隅にそっと登場し、さっと一条の鮮血をほとばしらせた人物こそ任侠の士なのだ。
 ・・・(中略)・・・
 やはり侠者は客の側にいたのだ。・・・ほかにもエピソードの伝わらない任侠の士がいたに相違ない。
 その行為が埋没して伝わらないのが、まことの任侠ではあるまいか。
 命も惜しまないが、名が伝わらないことも惜しまない。ーーーそれが極致であろう。
 とすれば、任侠伝を書くようなことは、偶然、歴史のうえにこぼれ落ちた落ち穂を拾うような作業である。(陳舜臣、孟嘗君の客、同書、p99、p104)

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補註・追記 2016年12月13日 火曜日 雪のち曇り

陳舜臣 「聊斎志異考 中国の妖怪談義」ものがたり水滸伝 陳舜臣中国ライブラリー16 集英社 2000年(オリジナルは初出誌は「小説中央公論」1993年1月号から1994年1月号、初刊本は「聊斎志異考 中国の妖怪談義」中央公論社 1994年)

蒲松齢の「侠女」
「侠」という字は、ニンベンを含めて、四つの人の字からなる。中央の「大」は大手をひろげ、二人の人をかかえているかのようだ。辞書の字解をみると、たいてい「おとこだて」「おとこぎ」などとしているが、侠はなにも男に限らないことは、本篇(侠女)の示すとおりである。(陳舜臣、聊斎志異考、p504)2016年12月13日追記。

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