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仮説: 河本大作は二つのルートの工作に嵌まった結果、確信犯として実行に移した(が、張作霖爆殺の本体は違う仕掛け)。

2023年1月2日 月曜日 晴れ

加藤康男 謎解き「張作霖爆殺事件」 PHP新書 2011年

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蔣介石・田中義一会談(昭和二年十一月)

 ・・田中義一首相兼外相と、青山の田中私邸で十一月五日午後一時半から二時間ほど密談をかわした。  この会談は実に微妙なタイミングで行われたといっていい。蔣介石は北伐をいったん休止し下野、北伐再開への戦略を練り直したい時期だった。田中も満州経営安定のための秘策を蔣介石と交わしたかった。  最終的に二人が合意したのは、国民党が勝利して中国統一が成功したあかつきには、日本はこれを承認すること。たいして国民党は、満州における日本の地位と権益を認めるということだとされている(『評伝・田中義一』)・・・(中略)・・・蔣介石の言葉の奥には、張作霖さえ排除できれば満州問題は日本の思い通りになりますよ、との謎めいた意味が読み取れる。・・(『日本外交年表並主要文書1840-1945)(加藤、同書、p179-180)

 ・・張学良は一九二七(昭和二)年七月に極秘入党(=国民党に入党)していたと、蔣介石は日記で語っている。  だとすれば、蔣介石、張学良の間で共同謀議がすでにあり、その結果として田中義一にもそれとなく側面からの支援依頼を示唆しておいた、という段取りに思えてくる。  その場合、コミンテルンと張学良の間では関東軍がすべてやったように見せかけるということで、抹殺計画が進んでいたという可能性がある。(加藤、同書、p181)

 ・・計画実行に当たっては、国民党幹部から佐々木到一中佐に対して、しかるべく善処を頼むという蔣介石からの希望が伝えられ、佐々木が動いたーーこれはあくまでも仮説にすぎないが、可能性から外すことのできない論拠がある。(加藤、同、p182)

 佐々木から河本へ

 佐々木到一中佐の手記には、この機に乗じて一気に満州問題解決のための秘策を練り、それを南京からまだ旅順にいる(補註:昭和三年五月末に奉天に移る)河本大作に通電した、という件が記されている。(加藤、同書、p182)

 ・・佐々木が掴んだ情報はコミンテルンが仕掛け、国民党内のルートを通じて張学良から伝えられた「父殺し」計画だった。張学良にとっては中国大陸統一という琴線に触れるものである。  国民党内のコミンテルン、張学良の入党、佐々木到一の南京勤務、そしてこの(佐々木から河本への)通電が一本の糸でつながった。これによって河本が裏からも操作されていた可能性が十分に納得いく。  河本自身に対しては国民党内コミンテルン分子からの工作と伴走する形で、サルヌインが石炭商伊藤謙次郎、満州浪人安達隆成、奉天の遊廓経営者劉載明、そして同じく料亭「みどり」に集う芸妓たちに巧妙な工作を施した可能性はすでに指摘した。  河本はこの二つのルートの工作にはまった結果、確信犯として実行に移したのだ。(加藤、同書、p184-185)

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