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ミトロヒン文書 KGB工作の近現代史

2023年3月21日 火曜日 曇り

山内智恵子(江崎道朗・監修) ミトロヒン文書 KGB工作の近現代史 ワニブックス 2020年

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 ミトロヒンは、KGBの部外秘の機関誌や第一総局の文書を日常的に読んでいました。読めば読むほど、ソ連の体制への絶望が深まっていきました。文書を読むと、アンドロポフ議長があらゆる反対派を殲滅するという個人的執念を抱いていることや、人権擁護の要求はすべてソ連の国家体制を揺るがすための帝国主義者の陰謀だと思い込んでいることがわかりました。KGBがソ連の司法制度を歪め、まともな裁判抜きで人々を抑圧している証拠も、KGB文書の中に山ほどありました。(山内、同書、p69)

 ・・これほどの危険を冒して、膨大な作業をしながらも、ミトロヒンは、生きている間にこれらの文書が日の目を見ることを期待していませんでした。それでも後世のソ連国民のために書き残したい一心での、孤独な作業でした。

 言論の自由が存在しない国で、自分が死んだあと、いつの日か誰かに届くことを願いつつ、命がけで書き続けるーーアンドルーは、ソ連にはそういう偉大な書き手たちがいた、ミトロヒンもその一人だったと述べています。(山内、同書、p73)

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 ・・傀儡政府の公式発表ではアミンは革命裁判で裁かれて処刑されたことになっていましたが、ミトロヒンが読んだ第一総局の文書によると、アフガニスタン政府軍の征服を着たKGB特殊部隊が官邸に押し入り、家族や側近ともども暗殺したというのが真相です。アフガニスタンで死んだ約1万5千人のソ連軍兵士の遺体は、顕彰する儀式もなく密かに葬られ、アフガニスタンで戦死した事実は、墓石にすら刻まれずに隠蔽されました。

 国家の命令に殉じて生命を失った兵士の慰霊も顕彰もしない政府は、ろくなものではありません。これは、アフガニスタンへの軍事侵攻の是非とは別の問題です。

 難民のことも、戦死者のことも、アミン暗殺の真相も、村落の破壊も、ソ連軍兵士たちの死の真実も、ソ連国民には一切知らされませんでした。(山内、同書、p76)

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 ・・ミトロヒンは、2004年に81歳で、イギリスで亡くなりましたが、KGBの秘められた歴史はソ連史の重要な一部であって、ソ連国民にはそれを知る権利があると最期まで固く信じていました。(山内、同書、p78)

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 ・・日本には、日本の国益、視点がある。英米の情報史学の研究をそのまま鵜呑みにすることは、独立国家としては避けるべきだ。・・・(中略)・・・ 秘密工作、インテリジェンスは文字どおり、国際政治に大きな影響を与えることが多い。そして情報史学、近現代史研究もまた国際政治に大きな影響を与える。・・・(中略)・・・ ソ連・ロシア、中国、そして英米諸国の情報工作に振り回されないためにも、日本は日本の立場で情報史学に取り組み、各国の機密文書を読み解く態勢を構築しておかなければならない。そして、それはアカデミズムに任せておいていい課題ではない。政府、政治家、そして民間の心ある人たちが取り組んでいくべきことなのだ。(江崎・監修に寄せて、同書、p302-303)

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チェカーの始まり

 KGBの源であるチェカー(正式名称は反革命・サボタージュおよび投機取締全ロシア非常委員会)は、ロシア革命からわずか6週間後の1917年12月20日に創設されました。(山内、同書、p84)

 ・・レーニンは「革命にはテロが必要だ」と力説し、1918年9月にはチェカーに全国的な赤色テロル(「反革命」派の虐殺)を命じています。(山内、同書、p88)

 チェカー対外情報部の誕生

  レーニンは1919年に共産主義政党の国際組織としてコミンテルン(第三インターナショナル)を設立します。  戦争による疲弊に乗じて内乱を起こし、混乱に乗じて共産主義政権を確立するという、ロシア革命で成功した方法を輸出して、世界共産革命を実現するため、レーニンは、コミンテルンに加入する世界各国の共産党に、非合法機構の設立を義務づけました。そして、各国共産党に、それぞれの国で非合法活動を行って戦争や内乱状態を引き起こすよう、コミンテルンを通じて指導していきます。

 共産党にはもれなく非合法組織がついてくるということが、共産党や共産主義を理解する上でとても重要な点です。(山内、同書、p89-90)

 ・・コミンテルンが各国共産党の非合法活動を重視したのと同様に、チェカーも非合法諜報員を国外に派遣していました。  その数が多くなって彼らの海外活動を統括する部署が必要になったため、チェカー創立三周年の1920年12月20日に対外情報部が設置されます。革命直後から続いていた内戦がこのころにはほぼ決着がついていたので、対外工作に注力する余裕が出てきたというのもあります。(山内、同書、p90)

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 エリートたちがなぜ共産主義に魅了され、工作員になってまでソ連に尽くそうとしたのか?(山内、同書、p105)

 ・・1930年代に「グレート・イリーガル」たちが次から次へとスカウトして工作員にした西側共産党員やフェロー・トラベラー(党員ではないが共産党に強く賛同して協力する人々)の多くは、「世界で初めて実現した労働者と農民の祖国」という、ソ連の実態とはかけ離れた理想的イメージを信じ、共産主義に魅了されていました。(山内、同書、p104)

 ・・資本主義諸国で多くのエリート・知識人たちが共産主義に魅了されていった背景には、大恐慌による経済の混乱があります。・・また、知識人の間には自由を圧殺するナチス・ドイツのファシズムに対する反発が強くありました。ソ連はこれを最大限に利用します。(山内、同書、p105)

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