Nur noch ein Ja-sagender sein!
Friedrich Nietzsche Die fröhliche Wissenschaft, KSA 3, Sämtliche Werke, Kritische Studienausgabe (KSA) in 15 Einzelbänden, herausgegeben von Colli und Montinari, Verlag de Gruyter, Berlin/New York 1967 (私が今回手に入れたのは1988年の Duetscher Taschenbuch Verlag 版)
2015年3月19日 木曜日
今日はニーチェの「悦ばしき知識 276」をタイプで書写してみることにした。
技術的には、キーボード配列を表示しながらのよちよちタイピングだ。zとyを間違えないこと。ウムラウトに関して、pの横がü、lの横にö,ä,#と並んでいて、今までの英文タイプでは滅多に使わなかった右小指の独擅場である。
*****
新しい年に。ーーー私はまだ生きている。私はまだ考える。私はなお生きなければならない。私はなお考えなければならないからだ。(中略)私は事物における必然的なものを美と見ることをもっともっと学びたい、ーーーそうして私は、事物を美しくする者たちの一人となるであろう。運命愛ーーーこれからはこれが私の愛でありますように! 私は醜いものに対して戦いを挑もうとは思わない。私は非難しようとは思わないし、非難する者たちをさえ非難しようとは思わない。眼をそむけること、それが私の唯一の否認でありますように! つまるところいつの日にか私は、ただひたすら肯定する者となりたいのだ! 永井均訳「悦ばしき知識」276 [1882年1月] 永井均「これがニーチェだ」 講談社現代新書 1998年 p168 より引用。
*****
Friedrich Nietzsche, Die fröhliche Wissenschaft 276:
新しい年に。ーーー私はまだ生きている。私はまだ考える。私はなお生きなければならない。私はなお考えなければならないからだ。 Zum neuen Jahre.— Noch lebe ich, noch denke ich: ich muss noch leben, denn ich muss noch denken.
Sum, ergo cogito: cogito, ergo sum.
Heute erlaubt sich Jedermann seinen Wunsch und liebsten Gedanken auszusprechen: nun, so will auch ich sagen, was ich mir heute von mir selber wünschte und welcher gedanke mir dieses Jahr zuerst über das Herz lief, — welcher Gedanke mir Grund, Bürgschaft und Süssigkeit alles weiteren Lebens sein soll!
私は事物における必然的なものを美と見ることをもっともっと学びたい、ーーーそうして私は、事物を美しくする者たちの一人となるであろう。 Ich will immer mehr lernen, das Nothwendige an den Dingen als das Schöne sehen:— so werde Ich Einer von Denen sein, welche die Dinge schöne machen.
運命愛ーーーこれからはこれが私の愛でありますように! Amor fati: das sei von nun an meine Liebe!
私は醜いものに対して戦いを挑もうとは思わない。私は非難しようとは思わないし、非難する者たちをさえ非難しようとは思わない。 Ich will keinen Krieg gegen das Hässliche führen. Ich will nicht anklagen, ich will nicht einmal die Ankläger anklagen.
眼をそむけること、それが私の唯一の否認でありますように! Wegsehen sei meine einzige Verneigung!
つまるところいつの日にか私は、ただひたすら肯定する者となりたいのだ! Und, Alles in Allem und Grossen: ich will irgendwann einmal nur noch ein Ja-sagender sein!
*****
**********