2018年1月6日 土曜日 曇り
ツルゲーネフ はつ恋 神西清(じんざい・きよし)訳 新潮文庫 1952年(原著は1860年)
情け知らずな人の口から、わたしは聞いた、死の知らせを。
そしてわたしも、情け知らずな顔をして、耳を澄ました。
という詩の文句が、わたしの胸に響いた。
ああ、青春よ! 青春よ! お前はどんなことにも、かかずらわない。お前はまるで、この宇宙のあらゆる財宝を、ひとり占めにしているかのようだ。憂愁でさえ、お前にとっては慰めだ。悲哀でさえ、お前には似つかわしい。お前は思い上がって傲慢で、「われは、ひとり生きるーーまあ見ているがいい!」などと言うけれど、その言葉のはしから、お前の日々はかけり去って、跡かたもなく帳じりもなく、消えていってしまうのだ。さながら、日なたの蝋のように、雪のように。・・・(中略)・・・
さて、わたしもそうだったのだ。・・ほんの束の間たち現れたわたしの初恋のまぼろしを、溜息の一吐き(ひとつき)、うら悲しい感触の一息吹をもって、見送るか見送らないかのあの頃は、わたしはなんという希望に満ちていただろう! 何を待ちもうけていたことだろう! なんという豊か未来を、心に描いていたことだろう!
しかも、わたしの期待したことのなかで、いったい何が実現しただろうか? 今、わたしの人生に夕べの影がすでに射し始めた時になってみると、あのみるみるうちに過ぎてしまった朝まだきの春の雷雨の思い出ほどに、すがすがしくも懐かしいものが、ほかに何か残っているだろうか? (ツルゲーネフ、同訳書、p130-131)
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父は、しきりに何やら言い張っているらしかった。ジナイーダは、いっかな承知しない。その彼女の顔を、今なおわはしは目の前に見る思いがする。ーー悲しげな、真剣な、美しい顔で、そこには心からの献身と、嘆きと、愛と、一種異様な絶望との、なんとも言いようのない影がやどっていた。・・・(中略)・・・ーー従順な、しかも頑なな微笑である。この微笑を見ただけでもわたしは、ああ、もとのジナイーダだなと思った。(ツルゲーネフ、同訳書、p122-123)
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