「力」という解釈空間
キリスト教が「罪」という超越的な解釈空間を捏造することによって、その内部で救われたい(と思わされてしまった)牧畜のうえに君臨したのと同様に、ニーチェ主義は「力」という超越的な解釈空間を捏造することによって、その内部で強者になりたい(と思わされてしまった)牧畜のうえに君臨することになった。
以上、永井均「これがニーチェだ」 講談社現代新書 1998年 p146 「価値基準の独占」の項より引用。
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ーーー力への意志は力を語る、力はただ示される。
もしニーチェがこのことに気づいていたら、彼の力の哲学は超越論哲学の伝統を、その神髄において受け継いだ、本格的な哲学説になりえたように思う。
以上、永井均「これがニーチェだ」 講談社現代新書 1998年 p147 「まとめとないものねだり」の項より引用。
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