philosophy

祈りとしての永遠回帰

ただひたすら肯定する

新しい年に。ーーー私はまだ生きている。私はまだ考える。私はなお生きなければならない。私はなお考えなければならないからだ。(中略)私は事物における必然的なものを美と見ることをもっともっと学びたい、ーーーそうして私は、事物を美しくする者たちの一人となるであろう。運命愛ーーーこれからはこれが私の愛でありますように! 私は醜いものに対して戦いを挑もうとは思わない。私は非難しようとは思わないし、非難する者たちをさえ非難しようとは思わない。眼をそむけること、それが私の唯一の否認でありますように! つまるところいつの日にか私は、ただひたすら肯定する者となりたいのだ! 永井均訳「悦ばしき知識」276 [1882年1月]

永井均「これがニーチェだ」 講談社現代新書 1998年 p168 より引用。

永遠回帰が初めて登場する場面: 悦ばしき知識 341

生を評価する基準が外部になく、また評価する主体がどんな種類の他者でもない。 永井 同書 p173

(永遠回帰思想は)・・・この世界をはかないものとして軽視し、別の世界へ目を向けることを教えるような、すべての宗教を拒否する。この現在の意義を未来に求め、・・・すべての目的論的世界解釈を否定する。だがそれは、そこで働いていた宗教的感性を、この世界とこの現実そのものへ向け変えさせ、「生成の無垢」の神々しさを教えようとするだろう。
 つまり、永遠回帰思想の最大のポイントは現実肯定にある。この世界を、外部からの意味づけによってではなく、現実であることそれ自体によって、この瞬間を、過去や未来の視点からの意味づけによってではなく、今であることそれ自体によって、この人生を、他者や外部の視点からの意味づけによってではなく、自分であることそれ自体によって、そのまま肯定することを、それは教えるのである。だからその肯定は、この世界を、この瞬間を、この人生を、それ自体として、奇跡として、輝かしいものとして、感じるがゆえに、おのずとなされる肯定でなければならない。

以上、永井 同書 p180 より引用。

 ・・・永遠回帰は、本来、語られるようなことがらではないだろう。ただそれを生きているものは、それを語る必要がないだけでなく、そもそもそれを語る視点に立つことができないはずだからである。永遠回帰は、目的なき日々の無意味な繰り返しのうちで、世界と一体になって無邪気に遊ぶ子供の、現在の肯定感そのもののうちに自ずと示されるほかはない。そこには、他である可能性との対比という様相の厚みがない。こうであったなら、とか、こうでありえたかも、という可能性の視点そのものがそもそもない。ただこうである、それだけ、それがすべてなのである。
 永遠回帰は、選択的欲望の、すなわち力への意志の、対象とはなりえない。それは意志も欲望もなしに、ただ肯定され、ただ是認されるべきものなのだ。

以上、永井 同書 p206-7 より引用。

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・・・世界が永遠に回帰するとしても、世界の中にいるわれわれは、それを知ることはできない。だからそれもまた主張としては無意味なのである。
 だが、もしそれが主張ではなく祈りなのだとしたら? ーーー何度も繰り返しておくれ、私のこの人生よ。寸分たがわぬこのままで。ーーーそれは私の生とこの世界を、外から意味づけているのではない。私の生とこの世界そのものを、それ自体として内側から祝福する祈りなのだ。永遠回帰の祈りだけが、この本来の<神>に対する、唯一可能な、心からの祈りなのである。それこそが、どこにも嘘のない、真の敬虔さなのだ。「宗教の中の宗教としての回帰」(1885年4月ー6月、34[199])とはそういうことだろう。「おまえの内なるなんらかの神」とは、そういう神であろう。どうしてそうでないことがありえようか。

以上、永井 同書 p209 「人生の意義ーーー祈りとしての永遠回帰」の項より引用。

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Drei Verwandlungen des Geistes

Drei Verwandlungen nenne ich euch des Geistes: wie der Geist zum Kameele wird, und zum Löwen das Kameel, und zum Kinde zuletzt der Löwe.
Vieles Schwere giebt es dem Geiste, dem starken, tragsamen Geiste, dem Ehrfurcht innewohnt: nach dem Schweren und Schwersten verlangt seine Stärke.
Was ist schwer? so fragt der tragsame Geist, so kniet er nieder, dem Kameele gleich, und will gut beladen sein.
Was ist das Schwerste, ihr Helden? so fragt der tragsame Geist, dass ich es auf mich nehme und meiner Stärke froh werde.
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Oder ist es das: sich von Eicheln und Gras der Erkenntniss nähren und um der Wahrheit willen an der Seele Hunger leiden?
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Aber sagt, meine Brüder, was vermag noch das Kind, das auch der Löwe nicht vermochte? Was muss der raubende Löwe auch noch zum Kinde werden?
Unschuld ist das Kind und Vergessen, ein Neubeginnen, ein Spiel, ein aus sich rollendes Rad, eine erste Bewegung, ein heilige Ja-sagen.
Ja, zum Spiele des Schaffens, meine Brüder, bedarf es eines heiliges Ja-sagens: seinen Willen will nun der Geist, seine Welt gewinnt sich der Weltverlorene.

(Von den drei Verwandlungen, Die Reden Zarathustra´s)

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