literature & arts

チャペック 山椒魚戦争

2016年12月14日 水曜日 夜は雪

カレル・チャペック 山椒魚戦争 栗栖継訳 岩波文庫 1978年(原著は1935-36年、訳書の初出は1970年、早川SF全集)

山椒魚の普及に、最もあずかって力のあったのは、みごとに組織された山椒魚貿易と、新聞による大規模な宣伝のほか、当時全世界をおおっていた技術に対する理想主義の巨大な波であった。(チャペック、同書、p243)

*****

そもそも文明とは、他人が考え出したものを利用する能力のことではなかったか。たとえ、山椒魚には、独自の思想がなくとも、けっこうすぐれた科学をもつことができる。(チャペック、同書、p305)

山椒魚の特徴を一口に言うと、「量」である。数が多いということこそ、画期的な彼らの業績なのであった。(同、p306)

*****

「Xは警告する」
われわれ人間にとっておそろしいのは、彼らの数や力よりも、彼らの成功し勝利し続ける劣等性である。・・
「愚かなる人びとよ、山椒魚に食料を与えることをやめよ!」
彼らに仕事を与えるのをやめよ。彼らの労力がなくともすむようにせよ。彼らをどこかへ移住させて、ほかの水生動物と同じように自活せしめよ!・・山椒魚への武器の供給をやめよ! 金属と爆薬の供給を停止せよ。機械と製品を送るな!(チャペック、同書、p363-364)

このパセティックなパンフレットは、社会の広い範囲にわたって、大きな反響を呼び起こした。年配の上流婦人たちは、かつてないモラルの退廃が起こっているという点に、とくに共感を示した。それに対して、新聞の経済欄は、当然ながら、山椒魚への物資の供給を制限することは不可能であることを指摘したが、そんなことをすれば、生産の低下を来たし、人間の工業界の多くの部門に、重大な危機を招くおそれがある、というのが、その理由だった。それに、農業も・(略)・ 労働組合は・(略)・ 山椒魚に反対する国際連盟については、おもな政治団体がこぞって、不必要だと反対した。・・・(中略)・・・ 頭を働かせることのできる人間なら、誰でも認めざるを得ないこの種の反論が、数多く提出されたのであった。(チャペック、同書、p365-366)

*****

作者が自問自答する
「このままにして置くつもりかい?」ここで、作者の内なる心が、聞こえて来た。(チャペック、同書、p410)

*****

異常なし
 不思議なことが、あればあるものだ。今日、問題になっているのは、もはや人間と人間の良心なのではなく、イタリア・英国・エチオピアなどの国のことだけなのである。これはまるで、政治をやるのが、もはや人間ではなくなっているみたいじゃないか! (チャペック、「異常なし」、同書、訳者あとがきp473の訳文より)・・・果たしてわれわれは、政治や経済の話を現在しているのと、同じ情熱と執拗さで、ふたたび芸術や哲学や文学の話をする日まで、生きることができるだろうか。その日、私にはきわめて強い生活感と現実感ができているかもしれない、と私は思うのである。(チャペック、「異常なし」、同書、訳者あとがきp475の訳文より)

**

補註 上記引用訳文の「その日、私にはきわめて強い生活感と現実感ができているかもしれない」という一文の文意がやや分かりづらい。暫定的に、「現在から近未来の<その日>までに多くの苦しい経験(戦争・革命・恐慌・大災害など)を経なければならないだろう」という見通しを予感したもの、ととらえてみたい。(後に再考・訂正するかも知れない。)

**

補註 読書のペースのきわめて遅い私にしては一日半ですべて(訳者注も含めて全部の行を)読み通すという異例の読書となった。注の細かい活字を読むのは老眼のために非常に骨が折れたが、価値ある読書であった。

*****

********************************************

RELATED POST