literature & arts

モラリストとしてのスウィフトの限界

2016年7月19日 曇り

三浦謙(ゆずる) スウィフト管見 南雲堂 1984年

私たちには相手に慈しみをもたせるような宗教はない: モラリストとしてのスウィフトの限界

宗教について
私たちには、相手を憎悪させる宗教はあるが、相手に慈しみをもたせるような宗教はない。(The Prose Works of Swift, New York, AMS Press, 1971, VOl. I, pp273-87; Vol. III, p307)(三浦、同書、p116より孫引用)

スウィフトは、とりわけ非国教徒と地主階級には根強い反感を抱いていた。上掲の引用は、このような対立抗争から、生涯抜け出ることのできなかったスウィフト自身の内省のことばでもあろう。

スウィフトは、「教会は、死んだ人間ばかりでなく、生きている人間の寄宿舎でもあるのではないか」(The Prose Works of Swift, New York, AMS Press, 1971, VOl. I, pp273-87; Vol. III, p307)という疑問を、たえず自身に問いかけていたのである。スウィフトは担当の教区を隈無く回って、積極的に布教活動を行いながら、貧者には金を惜しげもなく与えた。スウィフトが慈善に費やした金額は、キング大主教と同率であったといわれている。(三浦、同書、p117)

*****

混沌の中にあって自他ともに生きる方途を模索する
スウィフトは、モンテーニュのように開明的ではなかった。スウィフトは、どちらかというと矛盾を思念の世界で受け入れた。現実に生かすには保守的すぎたのである。モンテーニュは酸鼻をきわめて新旧両派の抗争に、命がけで身を乗り出し調停に当たった。しかし、宗教的には頑迷であったスウィフトは、国教会の枠を超えて宗派の調停に乗り出すことはできなかった。スウィフトは最後まで国教会にとどまり、ついには、教会およびキリスト教に絶望するのである。モンテーニュのように現実をありのままに見つめ、混沌の中にあって自他ともに生きる方途を模索できなかったところに、モラリストとしてのスウィフトの限界がある。(三浦、同書、p118-119)

*****

僧界でのこのような着実な昇進ぶりは、聖職者としてのスウィフトが、少なくとも義務の履行を怠らなかったことを裏書きしている。事実、法衣を纏ったスウィフトには、奇行らしきものは見られないし、教区の評判もなかなかのものであったらしい。  ところがいざペンを執ると、スウィフトは大きく変貌する。その宗教批判は、現職の宗教家としては常軌を逸している感があり、・・その著作を読めば大方の人はその正気を疑いたくなる。その問題の著作の一つが、「桶物語」である。(三浦、同書、p121-122)

*****

風刺はすべての機知の中で、最も安易だと思われている。だが時代がいたって悪い場合には、そうではないと私は考える。・・きわだった悪徳の持ち主を風刺するのは難しいからだ。(三浦、同書、第九章 スウィフト随想録より孫引用、p136)

*****

補注 その組織の内部にいて、その組織の真の全面的な批判者であることができるのだろうか。自らが属するヤフーを徹底的に批判してついにフウィヌムの仲間になりたいと願っ(て果たせず人間界に追放され)たガリバーのように、人間の世界の中にあっても人間の世界では暮らせない狂人になる危険を孕んでいるのではなかろうか。
自らの属する世界で通常の生を営むためには、「自己言及的な語り得ぬ事柄」については「沈黙する」ということが自己防衛の手立てとなる。スウィフトは文人としてその一線を越えて(匿名ではあっても公然の)宗教批判を展開しながら、一方で聖職者として正義感に溢れ熱心に業務をこなしていたのであった。鋭い刃の風刺文学をものす文人、そしてその徹底的な批判の対象となる宗教界に身を沈める職業人、その二つを我が身に引き受けることを是としたスウィフトは、分裂した狂気への道を否応なしに歩んでいくことになったのであろう。
人が嫌なら人でなしの世界にゆくしかない・・その前提からスタートしてどのような道を人は選んで行くべきなのか。芸術や学問などの人類にとって価値あるものは、その選択肢の一つである(補注#)。スウィフトが選んだ風刺文学の道は、一見安易そうにみえても、意外と険しく(補注*)、スウィフトのように突きつめれば、人でなしの世界にまで足を踏み込むという深淵が待ち構えている。もう一つの道、「混沌の中にあって自他ともに生きる方途」を懸命に探してゆかなければ明かりを手にすることができないのではなかろうか。2016年7月19日追記

補注# 有名な草枕の冒頭「・・あれば人でなしの國へ行く許りだ。人でなしの國は人の世よりも猶住みにくからう。 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人といふ天職が出來て、ここに畫 …」を思い浮かべる。

ところが、ガリバーの辿りついたフウィヌムの国は、人の世よりもずっと住みやすかったために、ガリバーの懊悩は一層深まる。草枕の主人公の物語のような展開にはならなかったのである。
漱石は三十歳の若い芸術家を登場させて草枕の世界に暫しの明かりを見出す。しかし、漱石もまた、その世界に安らかに住み続けることはできなかった。草枕の世界を後にして、「混沌の中にあって自他ともに生きる方途」を懸命に探していったのだ。

補注* 風刺はすべての機知の中で、最も安易だと思われている。だが時代がいたって悪い場合には、そうではないと私は考える。・・きわだった悪徳の持ち主を風刺するのは難しいからだ。(三浦、同書、第九章 スウィフト随想録より孫引用、p136)

*****

********************************************

RELATED POST