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ステパンチコヴォ村とその住人たち

2023年1月13日 金曜日 曇り(珍しく日中5℃と暖かいが、どんよりとした曇り日)

ドストエフスキー 高橋友之訳 ステパンチコヴォ村とその住人たち 光文社古典新訳文庫 2022年(原作は1859年)

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 ・・かつてナースチェンカは、庭で会った私に、父が道化のまねをするのは自分のためだと語ったものだが、それは誤っている。確かに、あの頃のエジェヴィーキンは娘を嫁がせようとやっきになってはいた。だが、道化を演じることは、鬱積した憎しみにはけ口を与えたいという内的欲求のあらわれでしかなかったのだ。嘲笑と毒舌はいわば血に流れる欲求だった。たとえば彼は、世にも卑屈なおべっか使いを戯画的に演じて見せながら、一方で、それが見せかけにすぎないことをこれみよがしに示すのである。おべっかが卑屈であればあるほど、そこに込められた嘲笑が、いっそう露骨に毒々しくあらわれ出てくる。それがこの男の流儀なのだ。(同訳書、p476)

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 「・・どうしてわたしが? いったいどうして? わたしが何かしたかい? 幸福に値するようなことをしただろうか?」

 「幸福に値するようなことをした人がいるとすれば、それはおじさんをおいてほかにありません」私は夢中になって言った。 「僕は、おじさんみたいに、正直で、親切で、優しい人に、いまだお目にかかったことがありません・・」

 「よせよ、セリョージャ、それはほめすぎだ」おじは遺憾の意にたえない様子で言った。「人は調子のいいときは優しくなるけどーーこれは自分のことを言ってるんだよーー調子の悪いときは、そばに寄るのも怖いくらいになる。それじゃだめなんだな! 今さっき、ナースチャと話し合っていたのも、そのことなんだ。・・」(ドストエフスキー、同訳書、p456-457)

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Fyodor Dostoevsky in 1863. Black and white photograph.

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・・「お前もきっとあれを笑うだろうし、さっきはみんなで笑い者にしたけれど、でもそれは、もしかしたらゆるされないことかもしれない・・だってあの男も、人並みすぐれた、善良きわまりない人間かもしれないんだ。ただめぐりあわせが悪くて・・不幸なめにあって・・。・・」

・・・(中略)・・・

 どん底まで堕ちた人間のうちにも、高貴な人間的感情がまだ保たれているのかもしれない。人間の魂の奥底はいまだ究められてはいない。堕落した人々を軽蔑すべきではないし、それどころか逆に、彼らを見つけ出してよみがえらせてあげなければいけない。世間一般に受け入れられている善と道徳の規準は当てにならない、云々。要するに、私はすっかり熱くなってしまったのだ。自然派のことまでしゃべり出し、あげくには詩の朗読までしてみせた。

 迷妄の闇の中から・・ (ドストエフスキー、同訳書、p459-460)

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「答えんか!」フォマーは食い下がった。「聞いているんだぞ、その百姓は何者なんだ? 言え!・・地主領農民か、固有地農民か、はたまた自由農民か、義務農民か、荘園農民か? 百姓にもいろいろあるぞ・・」(ドストエフスキー、同書、p185)

訳注: 義務農民とは、地主との契約により、地代を納めるかわりに一定の自由を得た農民。荘園農民とは修道院に属する農民。(高橋、訳注、同書、p187)

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補註: グリンカのカマーリンスカヤ

https://www.youtube.com/watch?v=WWfYo0Crihs&ab_channel=lmj22

https://www.youtube.com/watch?v=dMOhbjD0vVk&ab_channel=miljkmi

・・それにしても、ほら、見てごらん。なんてすてきなところだろう」おじは周囲を見回して言った。 「この自然! この情景! 見事な木だなあ! ほら、一抱えもあるぞ!すばらしいなあ、樹液も、葉っぱも! 太陽だって! 雷雨に濡れて、みんな浮き浮きして、すがすがしい気持ちになっているんだな!・・どうだろう、樹木だって心の中で何事か理解していて、感じたり、人生を謳歌したりしているとしたら・・そうじゃないか・・えっ? どう思う?」

 「大いにありえますね、おじさん。もちろん、樹木なりのやり方で・・」

 「そうだな、もちろん、樹木なりのやり方でね・・。 いやはや、驚くべき造物主!・・なあセリョージャ、お前はきっと、この庭をすみずみまで覚えているだろう。ちっちゃい頃、あんなに遊んだり走ったりしたもんな! お前がちっちゃかった頃のことは、今でもよく覚えているんだ」愛と幸福に輝きわたった表情で、私を見つめながら、おじはつづけた。

 「・・カーチャはお前の髪をいじったり撫でたりして、こう言ったんだ。『あなたが、親のいないこの子を引き取ってくれたこと、本当に嬉しいわ』って。・・」

 ・・

 「そのときはもう夕暮れ間近で、黄昏時の光がお前たち二人をまぶしく照らしていた。わたしは隅っこに座って、パイプを吹かしながら、お前たちを見つめていた・・。わたしはね、セリョージャ、カーチャのお墓参りに、毎月町に出かけるんだ」おじは声をひそめて言った。その声は、涙をこらえてふるえを帯びていた。 「さっきナースチャにも話したよ。ナースチャは、一緒にお墓参りに行こうって言ってくれた・・」

 おじはこみあげる感動を抑えようとして口をつぐんだ。(ドストエフスキー、同書、p461-462)

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