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露西亜文学を理解するためのお金の単位と価値

2023年1月14日 土曜日 曇り(どんよりとした曇り日)

ドストエフスキー 高橋友之訳 ステパンチコヴォ村とその住人たち 光文社古典新訳文庫 2022年(原作は1859年)

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 ・・ほら、ここに銀貨にして一万五千ルーブルある。これはわたしの有り金すべてだ。・・ここにあるのは、ほとんど質屋手形ばっかりで、現金は少しだけだ。さあ受け取ってくれ! (ドストエフスキー、同書、p234)

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高橋・訳注(同書、p235): 当時の貨幣の仕組み:

ロシアでは、紙幣と銀貨という価値の異なる通貨が流通していた。銀貨の方が高価で、その価値はおよそ銀貨:紙幣 = 4:1 の比率だったが、実際は非常に流動的なものだった。1839年に、銀貨:紙幣 = 3.5:1 という固定比率が導入された。その後1843年になって、紙幣に代わって銀行券が用いられるようになった。紙幣は廃止されたものの、名称は残り、今度は銀行券を指す呼び名として用いられつづけた。

当時の質屋は銀行業務も兼ねており、質屋手形は実際の通貨同様に使われていた。(同書訳注、p235)

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補註: 以下のページに帝政ロシアの貨幣制度・銀行などについて解説されている:

http://www.a-saida.jp/russ/imperija/01.htm

http://www.a-saida.jp/russ/imperija/02.htm

http://www.a-saida.jp/russ/imperija/bank.htm より<以下引用>

国立銀行の設立 ― 1860年

1860年5月31日、「貿易を促進し、通貨を安定させる」 ことを目的に、ロシアにおける中央銀行としての 「国立銀行 Государственный банк Российской Империи」 が誕生した (同年7月2日業務開始)。

最初の定款でも、また1894年に改正された定款においても、国立銀行に対して銀行券の発行を認めていなかった。

国立銀行は、使い古した紙幣の新しいものへの交換、紙幣の両替、金属貨幣への兌換などの義務を負っていたが、兌換紙幣そのものは国庫が発行していた (国庫紙幣)。
国立銀行は特殊部門をその貸借対照表のうちに設けて、これを証券部に占有させ、その項目の一方には兌換流通高を示し、他方には国家より国立銀行に移管された確実準備高を示し、この2つの勘定の差額は国庫に対する債権(すなわち、国庫債務)を示していた。

兌換券の発行権を持たなかった国立銀行に発行権が付与されるのは、1897年8月29日のことである。 兌換券発行量は、法規に基づき、流通の必要によって厳重に制限され、発行高が6億ルーブルを超えない場合は、その半額まで金によってカバーされるべきものとされ、この金額以上の信用券は、全額すべて金によってカバーされるべきものとされた。

1899年6月7日の法令によってロシアが単一の銀本位のもとにあっ際に編制された貨幣条例は改訂され、ロシアの金本位通貨制度は名実ともに確立されたのである。 以上、 http://www.a-saida.jp/russ/imperija/bank.htm より引用。

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