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仁術どころか、医学はまだ風邪ひとつ満足に治せはしない、病因の正しい判断もつかず、ただ患者の生命力に頼って、もそもそ手さぐりをしているだけのことだ、しかも手さぐりをするだけの努力さえ、しようとしない似而非医者が大部分なんだ。

2023年2月5日 日曜日 曇り

山本周五郎 赤ひげ診療譚 新潮文庫 昭和39年(初出は昭和33年、『オール読物』3月号から12月号)ただし、このページの引用は青空文庫版より。

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「この養生所にこそ、もっとも医者らしい医者が必要だ、――初めに先生はそう云われました」と登はねばり強く云った、「私もまたここの生活で、医が仁術であるということを」
「なにを云うか」と去定がいきなり、烈しい声で遮った、「医が仁術だと」そうひらき直ったが、自分の激昂げっこうしていることに気づいたのだろう、大きく呼吸をして声をしずめた、「――医が仁術だなどというのは、金儲かねもうけめあてのやぶ医者、門戸を飾って薬礼稼ぎを専門にする、似而非えせ医者どものたわ言だ、かれらが不当に儲けることを隠蔽いんぺいするために使うたわ言だ」
 登は沈黙した。
「仁術どころか、医学はまだ風邪ひとつ満足に治せはしない、病因の正しい判断もつかず、ただ患者の生命力に頼って、もそもそ手さぐりをしているだけのことだ、しかも手さぐりをするだけの努力さえ、しようとしない似而非医者が大部分なんだ」(山本、同書、p304)

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補註: 仁術どころか、医学はまだ風邪ひとつ満足に治せはしない・・赤ひげがこの言葉を語ったとされている200年前、そして周五郎さんがこの小説を書いた65年前、そして2023年現在、この言葉どおり、「医学はまだ風邪ひとつ満足に治せはしない」のである。2021〜2023年、フリン切断サイト挿入型のコロナウイルス感染症(COVID-19)に対してmRNAワクチンが喧伝されて多くの国々で悲惨な薬害を生んでしまったこと・・それは、今も進行形である。私たちひとりひとりが謙虚に医学の現状を認識したいものだ。その上で、私たちは思い込みや呪い(まじない)に頼るのではなく、地に足を付けた形で医学・医療に取り組まなければならない。 https://quercus-mikasa.com/archives/13528 などの記事もご覧いただければ幸いです。

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小石川植物園内に移築されたかつての東京医学校本館(現・総合研究博物館小石川分館)ウィキペディアから引用。

補註: 小石川養生所が始まったのが、1722年、第8代吉宗将軍の時。赤ひげ診療譚の時代はそれから100年後。(というのはシーボルトが1823〜1828年に日本滞在。主人公の保本登は長崎で3年間医学を学んで江戸に帰ってきた・・というところからお話しが始まるので。) 上の画像の東京医学校が明治10年(1877年)頃。私が医学を学び始めたのがそれからさらに100年後の1977年。

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補註: 前回のこのウェブ読書ノートにて、周五郎さんの「鬼吹雪」を紹介したが、この昭和13年・周五郎35歳当時の若書きの作品ではどうにももの足りないと思われる方も多いと思われる(実は私もそのひとり)。なので、それから20年後・周五郎55歳の作品・『赤ひげ診療譚』を読み通してみた。私たちが子供の頃、あおい輝彦&小林桂樹の時代劇でテレビ放映されていて思い出深い。新潮文庫の巻末の解説では、三船敏郎(赤ひげ)・黒澤明演出で映画化1965年されているとのこと。映画版でも見てみたいと思う。

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