literature & arts

飽くまでも知る遊宧多き味なきを

2016年6月16日 木曜日

一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年

陸游 村に居て 目に觸れしことを書(しょ)す

  飽知遊宧無多味
  莫恨為農老故郷

「遊官」は、仕官すること。役人の生活。「恨む」は、後悔する。役人生活が味気ないものだということは、もういやというほど知ったのだ。百姓として、この故郷で老いてゆくのを、後悔はすまい。 

  飽くまでも知る 遊宧(ゆうかん) 多き味なきを
  恨む莫(な)かれ 農と為りて 故郷に老ゆるを

さいごの二句は、作者がおのれにいいきかせていることばであろう。ときに、陸游、六十歳。四年ほど前、撫(ぶ)州に着任したとき、その地方が水害に見舞われ、中央の裁可なしに官有米を貧しい農民に分け与えてやった。それがもとで免職になり、以後故郷の農村にひきこもっていたのである。(一海、同書、p204)

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陸游 枝上花空閑蝶翅

☆陸游詩集(四).七言律詩<その013> http://blogs.yahoo.co.jp/kanji31936/10803526.htmlより原文を引用。訓み下しは一海、同書、p202-204より

【村居書觸目】 ; 「村に居て 目に觸れしことを書(しょ)す」
雨霽郊原刈麥忙;雨霽(は)れて郊原(こうげん) 麥を刈ること忙がしく
風清門巷曬絲香;風は清く門巷(もんこう) 絲(いと)を曬(さら)すこと香(かんば)し
人饒笑語豊年楽;人は笑語(しょうご)饒(おお)く 豊年 楽し
吏省微科化日長;吏(り)は微科(ちょうか)を省きて 化日(かじつ)長し
枝上花空閑蝶翅;枝上(しじょう) 花空(むな)しきも 蝶の翅(はね)は閑(のど)かに
林間葚美滑鶯吭;林間(りんかん)葚(くわのみ)美(うま)くして 鶯(うぐいす)の吭(のど)は滑らかなり
飽知遊宧無多味;飽(あ)くまでも知る 遊宧(ゆうかん) 多き味なきを
莫恨為農老故郷;恨(うら)む莫(な)かれ 農と為(な)りて 故郷に老ゆるを

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陸游の詩は以前にも好感を持って読んだが、今回初めて、彼が五十代半ばで免職となって故郷に引きこもっていたという伝記を知った。 陸游の春の詩のページを以下に再掲する:

残梅:冰雪の儗ること嚴しき地に 力めて春の囘るを斡む
2016年4月8日 金曜日 晴れ(雲多め)

一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年 p15

冰雪の儗ること嚴しき地に
力めて春の囘るを斡むる

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陸游

落梅(陸游、六八歳の作)

醉折殘梅一兩枝,不妨桃李自逢時。向來冰雪嚴凝地,力斡春回竟是誰。

訓み下しは一海、同書、p15より

醉折殘梅(補注1)一兩枝;
醉(よ)うて殘梅(ざんばい)の 一兩枝(いちりょうし補注2)を折(お)る
不妨桃李自逢時;
桃李(とうり)の 自(みずか)ら時(とき)に逢(あ)うを妨(さまた)げず
向來冰雪儗嚴地;
向來(きょうらい) 冰雪(ひょうせつ)の 儗(こ)ること嚴(きび)しき地(ち)に
力斡春囘竟是誰;
力(つと)めて春(はる)の囘(かえ)るを斡(すす)むるは、 竟(つい)に是(こ)れ誰(だれ)ぞ

補注1 一海本では落梅。WEBでは残梅となっているものが多かった。私の梅のイメージ感覚からいうと、梅の花片は樹に咲き残るイメージが強いので、「残梅」の方が季節感ある表現に感じられる。ここでは、残梅に軍配をあげたい。
WEB字書で「落梅」を引くと、らく‐ばい【落梅】散り落ちた梅の花、または実。となっている。・・私としてはやはり残梅を採りたいところ。
補注2 一海本では振仮名が振られていない。WEBでは一両枝を「いちりょうえだ」と訓じているものがあったが、本サイトでは重箱読みを避けるべく、一両枝を「いちりょうし」と訓んでみた。「一両(ひとつふたつ)の枝(えだ)を折る」と訓読した方がこなれているようにも思う。

注 向來(きょうらい) かねてからそうなのだが(一海、同書、p16)

注 
向來冰雪儗嚴地;
力斡春囘竟是誰;
氷や雪のきびしくはりつめたこの大地に、花咲く春をよみがえらせようとけなげに努力しているのは、結局は誰なのか。桃でもない。すももでもない。梅ではないか。(訳は一海、同書、p16)(補注3参照)

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落梅 二首のその一、その二

落梅二首 其二(宋·陸游)http://sou-yun.com/Query.aspx?type=poem&id=152604&lang=t より
  七言絕句 押支韻
醉折殘梅一兩枝,不妨桃李自逢時。向來冰雪嚴凝地,力斡春回竟是誰。

落梅二首 其一(宋·陸游)
  七言絕句 押先韻
雪虐風饕愈凜然,花中氣節最高堅。過時自合飄零去,恥向東君更乞憐。

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補注3 無粋な現実の話で恐縮であるが、北海道では梅は5月初旬、桜と同じ時期ないし若干遅れ気味な時期に花開く。これは、私が冬極寒の北国にやって来てから不思議に思うことのひとつである。たとえばソメイヨシノの開花時期は春になって地温(ちおん)が10度になった頃に一斉に花開くという。梅の場合は地温依存ではなさそうである。果たして何を感じて花開く時期を調整しているのであろうか。
 北国では桃やスモモの開花に梅がそれほど先んじているともいえない。せいぜい一週間程度の先行開花である。つまり、梅が「力(つと)めて春(はる)の囘(かえ)るを斡(すす)めている」、その頑張りが極寒の地では大きな結果につながらず、ほとんど数日の先行にとどまる。梅が多少スタートで先行しても開花までに大差をつけられず、結果逃げ切れなくなっているのである。春になってしまえば、その温かさの進み方が余りに速いので、百花繚乱状態となり、梅も桜もどんどん季節に追い越されていってしまう。つまり、北海道の梅は一遍に咲いてすぐに終わってしまう。見頃の週末は一週だけ。こんな咲き方の梅を想定したのでは、じっと寒さに堪えて高貴に匂う梅の花のイメージ、万葉の歌人や陸游の残梅(落梅)其の二の念いは伝わらない。ここでは、西日本や東日本太平洋寄りの梅を思い浮かべることにしたい。

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補注
WEBサイトより引用 「四季雑木林 雪花風月 雪ー2, 2015 梅花独暄妍・暗香浮動月黄昏」http://www.geocities.jp/enjoyzhongguo/sikiore-ume2.htm

 中国で生涯誰よりも多数の梅花の詩に詠んだ詩人は陸游である。

 まだ春には早い厳しい寒風の中で花を咲かせる梅花は、逆境に耐える人生を象徴する花とされた。その傾向は宋代以降にとくに顕著となる。南宋の代表詩人陸游は、その長い不運の生涯において、数多くの梅花詩を詠んでいる。

 陸游 (1125-1210) は、号を放翁といい、いまの紹興市を故郷とする。時の宰相秦檜に阻まれて進士に及第せず、一生を不遇のうちに終えた。北方の金国に対する政府の軟弱外交を批判して、憂国抗戦詩人としても知られる。

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梅の花は明け方の風にふれて一斉に花ひらく
2016年4月8日 金曜日 晴れ(雲多め)

一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年 p15

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陸游(七八歳の作)

  梅花絶句
       
   梅花絶句六首 其三     梅花 絶句六首  其の三

  聞道梅花坼暁風   聞くならく  梅花は  暁(あかつき)の風に坼(ひら)くと
  雪堆遍満四山中   雪のごとく堆(うず)たかく 遍(あまね)く  四(よ)もの山の中(うち)に満つ
  何方可化身千億   何(なに)の方(すべ)もてか  身を千億に化(わ)け
  一樹梅前一放翁   一樹の梅前(ばいぜん)に 一放翁(いちほうおう)たる可(べ)き

梅の花は、明け方の風にふれて一斉に花ひらく、という。その白い花々は、降りつもった雪にも似て、四方(よも)の山にみちみちる。何とかして、この体を千億の分身にわけ、ひとつひとつの梅の樹の前に、一人ずつこの放翁を坐らせる、そんな方(すべ)はないものか。

「身を千億にわけ」るという発想は、唐の柳宗元(七七三-八一九)の七言絶句「浩初(こうしょ)上人(しょうにん)とともに山を看て京華の親故に寄す」にもとづく。しかし「一樹の梅前 一放翁」(梅前を梅花とするテキストもある)というのは、陸游の独創であり、無数の梅の樹の一本一本の前に、同じ老人がちょこなんと坐っている図は、空想するだけで楽しい。(以上、一海、同書、p16-17より引用)

補注: 梅前か梅花かに関する推敲 ーー化身千億
「一樹の梅前 一放翁」ーーー梅前を梅花とするテキストもある、とのこと。梅花としてももちろん梅の一樹一樹のことを指すので意味は変わらない。
 ところで、千億の分身を擁すれば、梅花の花片ひとつひとつにまで、ミツバチサイズで派遣することも楽しいであろう。法華経の仏のように無数の陸游翁ミツバチが梅の花、その花片のひとつひとつに名前までつけて固有名詞で呼びかけ、愛でている微視的かつ宇宙的な曼荼羅世界を想像してみる。ただし、現実の花は風景にとどまらず、ミツバチにとっては果樹園芸栽培の圃場ではないか。ミツバチは遊んでいるのではなく、農に携わっているのでもある。これだと梅の花と実のためを思って花粉集めの傍ら受粉作業もせねばならず、巣でお腹をすかせて待っている子バチ(幼虫)のための蜜集めも手伝わないと申し訳ない状況となってしまい、なにやらえらくブンブン忙しい。2月の凍える寒さの中では仕事中の遭難も懸念され、辛いお仕事となってしまうかもしれない。
 ーーなどと思考実験の末、やはりミツバチサイズに分身するのは遠慮することとした。推敲の末、陸游翁は、やはり人のサイズで、一樹一樹それぞれの梅前ないし梅花のそばに悠然とたたずんでいる風情が一番心地よい。

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補注 一海本では六首の中の其の三が紹介されている。他の五首に関しても、将来きっと読んでみよう。

 探春歳歳在天涯  春を探るは歳歳天涯に在り
 酔裏題詩字半斜  酔裏(すいり )詩を題すれば字は半ば斜めなり
 今日渓頭還小飲  今日(こんにち)渓頭(けいとう)に還(ま) た小飲
 冷官不禁看梅花  冷官 禁ぜず梅花を看るを

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以上、再掲終わり。

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