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日露戦争: 100年前の当時は、帝国主義段階のまっただ中にあって、戦争をふっかけられ、これに勝ちつづけなければ、たちまち滅ぼされる! そういう時代だったのです。

(神野、同書、p333)

2022年2月3日 木曜日 晴れ

神野正史 世界史劇場 日清・日露戦争はこうして起こった 東アジアにおける近代の幕開けはどのように展開していったのか? ベレ出版 2013年

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日露戦争:アジアの小国が、白人列強に勝った!!

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・・白人は、古来、「肌の色で人種差別」しますが、ちゃんと「力」を示すと、態度を相応のものに改めてきます。

原注: 逆にいえば、「力」を示さない限り、「肌の色の違い」のみで、頭から蔑視してきます。彼らの前では「能ある鷹は爪を隠す」とか「謙虚」というものは通用しません。(神野、同書、p331)

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・・こうして、日本が「力」を示すや、列強諸国は、たちまち態度を豹変させ、こぞって日本と「対等条約」を結びはじめます。

そして、この「日本勝利」の報は、アジアでは熱狂をもって迎えられます。「・・日本に倣え! 日本につづけ!!」

こうして、「日露戦争」はアジアに「希望」という名の光をもたらします。

一度は萎えかけていた「白人に抵抗する気概」が、ここからふたたび湧きおこり、それが20世紀中葉の「アジア諸国の独立」を生んでいく、その起点となったのです。

しかし同時に、日本はこれを境として増上慢となってしまいます。

以後の日本は、白人帝国主義に追従し、「アジアの希望」から「失望」へと変わっていくのに、さして時間はかかりませんでした。(神野、同書、p332)

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・・明治から以降、日露戦争前までの日本人は、つねに「国家存亡の危機」と隣り合わせの状況にあって、100年後200年後の子孫の幸せを願い、自らの世代は、その夢も希望も悦びも、人生そのものすらも棄て、塗炭の苦しみに耐え、血の涙を流すつらい想いで、上から下まで右から左まで、全身全霊、がんばってきました。

100年前の当時は、帝国主義段階のまっただ中にあって、こちらがどんなに戦争したくなくても、戦争をふっかけられ、これに勝ちつづけなければ、たちまち滅ぼされる!

そういう時代だったのです。(神野、同書、p333)

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八カ国共同出兵:

・・実際には、ほとんど「日露連合軍」に近いもので、他の6カ国はほとんど「名を連ねただけ」といった感じのものでした。(神野、同書、p241)

・・中国で義和団の乱が勃発していたちょうどそのころ(1900年)には、ついに、ザバイカル鉄道を完成させ、満州里

まで到達、翌1901年には、東清鉄道を完成させています。

これで、周バイカル鉄道が開通すれば、シベリア鉄道全体が貫通し、そうなれば、地球の裏側から、世界一のロシア陸軍が津波のごとく満州に、朝鮮に、そして、日本に押しよせてくるのは、火を見るより明らかです。

そうなったら、もはや、日本に勝機はまったくなくなってしまうのです。

今回ロシアが、条約違反をしてでも、強引に満州を不法占拠したのには、こうした背景がありました。

つまり、「日本を滅ぼす気、マンマン!」という意思表示でもあるわけです。(神野、同書、p251)

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補註: ブラゴヴェシチェンスク(海蘭泡)事件とは?

ウィキペディアによると・・

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%9D%B1%E5%85%AD%E5%8D%81%E5%9B%9B%E5%B1%AF ウィキペディア 江東六十四屯

そこで、1900年7月13日、ロシアの軍艦ミハイル (Михаил) 号は河上より銃撃を開始し戦端が開かれた。7月16日のブラゴヴェシチェンスク(海蘭泡)事件でコサック兵が混住する清国人約3,000名を同地から排除するために虐殺して奪還。さらに8月2日から3日にかけての黒龍江璦琿事件では、義和団に対する報復として派兵されたロシア兵約2,000名が黒河鎮に渡河上陸し、清国人を虐殺。その結果、この時期に清国人約二万五千名がロシア兵に虐殺されてアムール川に投げ捨てられ、遺体が筏のように川を下って行ったという。

これらの事件によって江東六十四屯から清国人居留民は一掃され、清の支配は失われることとなる。

これらの事件と、これに続くロシアの東三省占領は、三国干渉以来高まっていた日本での対ロシア警戒感を一層高めることとなった。アムール川から南下の機会を狙うのは、世界最大のロシア陸軍。日本の世論は緊張し、反ロシア大集会が日本各地で開かれるに至った。ロシアは次に朝鮮を蹂躙して日本へ侵略してくるに違いない、というのが世論の見方であった。江東六十四屯の崩壊は『アムール川の流血や』という題名の旧制第一高等学校の寮歌にも歌われることとなった。<以上、引用終わり>

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比叡

オスマン帝国海軍「エルトゥールル」

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