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「百姓(ひゃくしょう)は農民」ではない。

2019年6月16日 日曜日 朝、小雨(長い日照り続き、今日は恵みの雨・・となるほど降るかどうか?)

昨日トランクィリティの一番花を見つけました。紫枝(ズズ)も花盛り。


「百姓(ひゃくしょう)は農民」ではない。


網野善彦 「日本」とは何か 日本の歴史00 講談社 2000年

今年も6月は赤花除虫菊の花盛り。


「ひゃくせい(はくせい)」は百姓の漢音であり「ひゃくしょう」は呉音である。それゆえ、両者の間に時代による意味の変化を見出そうとするのは、なんの根拠もない誤った“俗説”であり、古代からおそらく律令を扱う明法家(みょうぼうか)は「ひゃくしょう」といっていたと考えられる。それが中世に入るころに広く表面にあらわれたというだけのことであり、そこに呉音と漢音に関わる問題のあることは間違いないが、語義の「変化」までも見出そうとするのは、「百姓=農民」の思い込みのまったく理解しがたい合理化としかいいようがない。(網野、同書、p281)


誤解の出発点は「日本国」の成立そのものに遡る:・・「瑞穂国」を理想とする「農本主義」の立場に立つこの国家は、水田を六歳以上の全人民に与え、すべての人々を租税負担にたえうる「農民」にしようとする強烈な国家意志を貫徹しようとした。 この精度は列島社会の実態から著しく遊離していたがゆえに、百年もたたぬうちにその無理があきらかになり、弛緩し変質していった。(網野、同書、p284)


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今シロツメクサの花盛り・甘い香り流れミツバチの羽音が通奏されます。


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