culture & history

三十年戦争: グスタフ2世アドルフの古ゴート主義

Attributed to Jacob Hoefnagel – Gustavus Adolphus, King of Sweden 1611-1632 – Google Art Project

ウィキペディアによると・・・<以下引用>

グスタフ2世アドルフが三十年戦争に介入した理由として挙げられているのが「古ゴート主義」である。一般的には、ドイツのプロテスタント守護のための侵攻と言われているが、グスタフ2世の理想は、はるかにそれを上回るものであった。
グスタフ2世が着目したのは、前世紀から提唱されたゴート起源説である。スウェーデン・ヴァーサ家は、ゲルマン民族の大移動でヨーロッパを席巻したゴート人の末裔であるという伝承である。ゴート人は、ヨーロッパ、アジア、アフリカの三大陸を支配したという(この称号に冠された部族は、スヴェーア人、ゴート人、ヴァンダル人でいずれも王号を帯びていた)。この伝承は、スウェーデンでは古来より伝えられ、スウェーデンの建国神話と結びついている。グスタフ2世もこの説を信奉し、自らもそれに倣い、ヨーロッパの支配を目論むのである。グスタフ2世自身、戴冠式時にゴート人征服王ベーリクとして振る舞った。・・・(中略)・・・
要するに君主制であれ、共和制であれ、いずれかの国家独占が敷かれることによる国家理性が貫かれてこそ近代国家が生まれたと言える。それはドイツ三十年戦争を通じて生まれて来た「国家」と言うシステムであった。公権力と言う歴史的組織形態が「国家」であり、例外を除けば「絶対主義」を採用したことで始まったと言える。その三十年戦争の結果、ヴァーサ家、ブルボン家、ハプスブルク家の新旧普遍主義は、最終的に葬り去られてしまったと言えるが、それ故に「国家の形成」(絶対主義体制)のための戦争であったとも言え、諸国家のナショナリズムの誕生と形成に影響を与えて行くこととなる。それは、グスタフ2世の政策が半ば成功し、半ば破綻したことを意味していた。スウェーデンの強大化に貢献したとも言える普遍主義だったが、結果的に破綻し、特定地域に限定されてしまった一因は、皮肉にもグスタフ2世唯一の娘であり、スウェーデン・ヴァーサ家最後の継承者であるクリスティーナ女王であった[15]。


グスタフ2世の死後、宰相オクセンシェルナがその政策を引き継ぎ、クリスティーナ女王にスウェーデン普遍主義の理想を重ね合わせたが、女王はその理想よりもキリスト教徒の和解と統一の理想を掲げ、古ゴート主義は三十年戦争の終結と共に事実上終焉した。とはいえ、ゴート主義はスウェーデンがバルト海一帯を支配するバルト帝国の維持にその正当性を持たせている。
グスタフ2世は汎スウェーデン主義に則り、「スヴェーア人、ゴート人、ヴァンダル人の王」(Suecorm, Gothorum, et Vandalorum regen)を自称し、さらにフィンランド大公を兼任した。なおこの称号は、クリスティーナにも引き継がれた。

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リュッツェンの戦いでの戦死

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