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遠くても近くても、やることは同じ!

2023年1月3日 火曜日 

お正月の3日目、年末年始のインタビュー番組をユーチューブなどで視聴したり、ラグビー花園準々決勝をネット観戦したり、家族で映画を見たりして過ごす。

高峰秀子の車掌さん 1941年 原作は井伏鱒二の短編小説『おこまさん』。「名コンビ」と謳われた監督:成瀬、主演:高峰の初共演作品、とのこと。

高峰秀子の銀座カンカン娘 1949年 笠置シヅ子の声も姿も懐かしかった。

感想: 去年か一昨年に見た「カルメン故郷に帰る」に続いて、今回は私にとって高峰秀子2番、3番となる。1941年の作品は、この年末年始で私が読んで勉強している東條さんの時代と重なるのであるが、まあ、それ(大東亜戦争へと進む日本政府の苦しみ)とはほぼ無縁のアイドル映画の走りである。青梅街道から別れて甲州街道を西へ、甲州・笛吹川方面へバスは進む。1949年の作品も、終戦後4年目、未だ日本が独立していない苦しい状況下と思いきや、それとはまたほぼ無縁の能天気な庶民と(柴の子犬と)の暮らしである。作中に大家さんとして落語家が登場するが、この祖父さんは、本職、ホンモノの志ん生ではないか! アイドル映画としては場違いな落語の長尺挿入であるが、しかし、志ん生の落語映画版を延々と聞ける貴重映像。志ん生のご存じ十八番『替わり目』であった。

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暖流(原作岸田国士) 監督増村保造 根上淳 左幸子 野添ひとみ 他。1957年、94分。「岸田国士の同名小説の再映画化(前回は昭和十四年、吉村公三郎監督、佐分利信、高峰三枝子、水戸光子主演)」とのこと。前回の佐分利、高峰三枝子ヴァージョンも見てみたくなっている・・ので、いずれ。 ところで、映画の価値とは関係ない感想で申し訳ないが、主人公の男性、(左でも野添でも)どちらの女性と結婚したとしても、余り良い結果に結びつかないのではと危惧される・・映画鑑賞に際しては余計な心配であるが。

むすめ巡礼 流れの花 森永健次郎監督、1956年 浅丘ルリ子、坪内美詠子、他。71分。・・私が生まれるよりも前の作品。〜十六歳の浅丘ルリ子が初々しく美しい。母親役の坪内美詠子も奥ゆかしく美しい。瀬戸内の海岸風景も美しい。筋立てには偶然が重なって若干無理があるものの、順序など論理的破綻はどこにもない・・ということは脚本もよく練られていると思う。70分の短い時間内でうまくまとめられている佳作。

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黒澤明 生きる 1952年 143分。 志村喬、他。

感想: 私は、二十四歳の時に初めて癌の患者さんを受け持ってから、五十六歳まで癌の治療の研究に人生を費やし、そののちは自分の創った抗体治療薬の臨床試験(2018年1月スタートなので、これでまる5年が過ぎた・・慎重に進めることは大事なことであるが、けれど、長い・・)の行方を見守っている・・その人生の途中では、最も厳しい癌の一つと年余の経過で(介護する者として)闘った・・ある意味では、癌と真正面から向き合ってきた四十年余とも思われる。

 この黒澤の有名な「生きる」を見たのは初めてである。2時間20分余のこの映画は、私には冗長であった。映画で描くべきジャンルではないのかもしれない。

 以前のこのページで小浜逸郎さんの著書から引用したので、今回もこれを引用したい。

 ・・限りなく遠いとひとは言うかもしれないけれど、「遠くても近くても、やることは同じと私には感じられる」・・と林千勝さん(R5新年)のことば。 これは不思議なデジャビュ。私がここ10年ほどのあいだ、このウェブページの表題としている・・ Learn as if you were to live forever! Live as if you were to die tomorrow! ・・ Be the change you wish to see in the world. ・・ガンジーが語ったとされている言葉たちである。これらが、たとえば日本の先人たちも同じ意味のことを日本のことばで昔昔に語っていたような既視感にとらわれる。・・そんな「ふつうの人」のふつうの言葉使い・・とその生きている日々・・それが私にはごく当たり前に親しみ深く感じられるのである。

 黒澤明が「ふつうの人とは違った人」の「生きる」姿を描きたかったことはそれはそれでよいとは思うのだけれど、より深く人の生に念いを致すならば、ふつうの人はふつうのひとらしく、壮絶に「生きる」人生を悩んだりすることなく、だらだらと老い、だんだんに死んでいく。それがある年齢に達したふつうの人のふつうの生き方というものであろう と思い定めて、 Learn as if you are to live forever! Live as if you are to die tomorrow! Be the change you wish to see in the world. ・・といったような生き方で「生きる」を実践していくのがよいし、それが救い、安心だとおもうのである。だから、遠くても近くても、やることは同じと私には感じられる、のである。

 さて一方、黒澤の『生きる』においては、役所の迂遠システム、たらい回し、小役人根性・・等々に対する痛烈な諷刺が延々と展開されていて、こちらに関しては映画芸術的にはしつこすぎるきらいはあるものの、秀逸な描写の作品になっている。時間を存分に使ってのセリフ言語表現に関して台詞脚本も力が入っていて感心する。役者の人達も演技上手すぎ! 絶賛。・・ところが、私自身、これら「役所の迂遠システム、たらい回し、小役人根性」を受け止めて怒り悶え泣き諦め恨み堪え、また怒り〜〜云々して過ごした人生経験を経ており、深いところで古傷が痛む危険予知があるので、深掘り禁止。この話題に関しては今回無視、笑って耐えてスルーする。

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