community

だらだらと老い、だんだんに死んでいく。それがある年齢に達したふつうの人のふつうの生き方というものであろう。

2020年9月24日 木曜日 晴れ


小浜逸郎 死にたくないが、生きたくもない。 幻冬舎新書 2006年


 老いや死に対する振る舞い方、考え方は、たいてい二極化して表現される。

 一つは、「いつまでも元気で若さを失わず」というかけ声に代表されるような表向きの対処法で、これが主流をなしている。

 もう一つは、「メメント・モリ(死を思え)」という言葉に象徴されるように、「悟り」の境地を促す立場で、こちらはなにやら哲学的で崇高なイメージをまとっているだけに、ほんとうに同調できる人は少数派に属する。 ・・・(中略)・・・

 だらだらと老い、だんだんに死んでいく。それがある年齢に達したふつうの人のふつうの生き方というものであろう。このあり方をそのまま認めるしかないというのが、私(=小浜さん)の立場と言えば立場で、その点ではこの本の基本スタンスはブレてはいないと思う。それが時には、「無理に気負わず老いを素直に受け入れてはどうか」という提言となったり、時には「人はそう簡単に死ねるものじゃない」という認識の表現になったりしているのである。

 「ガンとの壮絶な闘い」などというテーマの本をよく見かけるが、私はあの手の大げさなコンセプトが嫌いなのである。ふつうの高齢者は、末期ガンの宣告を受けても別に「壮絶な闘い」なんかしてないし、しなくてもいいって。

 読者諸兄。どこかへ力強くいざなうことのない凡庸な結論で、面白くなかったかもしれません。でも現実って、そういうものでしょう?(小浜、同書あとがき、p202-203)


**


老いてはじめて得られるもの

下り坂ゆえの自由

・・青年期の自由は行動の自由だが、熟年期の自由は態度の自由である。また、青年期の不自由は自意識の不自由だが、熟年期の不自由は能力の不自由である。 青年は、自分に対しても人に対しても非寛容である。・・・(中略)・・・

 これに対して、年を重ねると、他人が自分の振る舞いをそんなに気にはしていないということがよくわかってくる。だから、恥をかいてもまあ高が知れたものとして自分を許せる。失礼なことをされても言われても、いずれ他人というのはそんなものと見なして、さほど傷つかなくなる。

 無益な争いにも疲れてくるし、どんな争いが無益かに関しても、ある種の勘がつかめてくる。そうすると、他人との関係を円滑に回すことができる。いわば適度に恥知らずになるのだ。これは熟年の利得だろう。(小浜、同書、p183-184)


**


*****


********************************************

RELATED POST