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人口の世界史:収穫逓増か収穫逓減か?

2020年12月26日 土曜日 雪


マッシモ・リヴィ-バッチ 人口の世界史 速水融・斎藤修訳 東洋経済新報社 2014年(原著は第五版、イタリア語2011年、英語版2012年; A Concise History of World Population, 5th.ed. by Massimo Livi-Bacci)


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収穫逓増か収穫逓減か?
・・これが解決不可能な意見対立(ジレンマ)とみえるのは、複雑な現象を説明するのに硬直的で性急な法則を発見しようとするからである。時間こそが最も重要な要因である。収穫逓減という不利益は、数十年もしくは数世代も続く、中短期的には克服できない問題を生じさせよう。・・・(中略)・・・人間の苦しみという代償は高くつく。ただ、歴史的に社会がみせてきた逆境を克服する能力はもっと印象的ではある。このジレンマを現代に移し替えてみるならば、それは劇的な様相を呈する。急速な人口増加は、長期的には予想もしないほどの発展となるかもしれないが、、その一方で、中期的問題は深刻である。イノベーションですら代償がある。・・・(中略)・・・  それゆえ、時間をどうとるかが重要なのである。中期的に悪いものも長期的には良いかもしれず、その逆もある。世代、世紀、あるいは千年紀を単位として歴史的に判断すべきなのか、それとも一生の間において起きると思われる問題に関心を絞るべきなのであろうか。(補註*)(リヴィ-バッチ、同書、p126)


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『人口論(Essay on the principle of population )』、1826年


補註* 「世代、世紀、あるいは千年紀」 vs 「一生の間」について:

二十世紀後半までは 「世代、世紀、あるいは千年紀」 vs 「一生の間」で話は噛み合っていたかもしれない。しかし、現在、「一生の間」が短くとも80年、今後は100年と考えて使った方が良い単語となってしまった。一方で、「世代」はいよいよ短くなる傾向にある。3G→4G→5Gの世代変遷の速さを考えただけでも察しがつこう。世代間がせいぜい10~20年とした方が議論が噛み合う。となると、時間単位の長さは、「世代 < 一生 < 世紀 < 千年紀」という順序になるのである。よって、二十一世紀からは 「一生、世紀、あるいは千年紀」 vs 「一世代の間」 と表現すべきだろうか。言葉の意味の変遷が厄介となっている。


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