2019年12月5日 木曜日 曇り
ドストエフスキー 白痴1 亀山郁夫訳 2015年(原書は1868年)
ロゴージンの身を滅ぼす結果につながる運命の出会い:
・・おれはな、公爵、あのとき親父のお下がりの外套を着てさ、ネフスキー大通りを走って渡ろうとしていたんだ、するとあの女が店から出てきてよ、馬車にのりこんだ。その瞬間、おれはもう心臓に焼き鏝でも当てられたみたいな気がしたよ。(亀山訳、同書、p26-27) ・・それでもその晩、一時間ばかりこっそり抜けだしてな、この目でもういちど、ナスターシャ・フィリッポヴナを拝んできた。いや、その夜はもう一睡もできなかったくらいだ。(同、p27-28) ・・そのときはもう、足の下も、目の前も、両脇も、何がどうなっているか何もわからなかったし、覚えちゃいない。おれはまっすぐ彼女のいる一階席に入って行った。・・まったく、あのときどうしてその場で死んでしまわなかったのか! そうとも、いったん行くと決めた以上、『どのみち生きちゃ帰れない!』って思っていたはずなのに、だ。(同、p28〜29)
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・・当のロゴージンは、その間ほとんどしらふに戻っていたが、これまでの人生で味わったことのない醜悪な一日から受けた、ありとあらゆる印象のせいで、半ば意識がもうろうとしていた。ただひとつの考えが、たえず彼の念頭に、彼の記憶や心に、毎分毎秒よみがえってきた。そしてその「ひとつの考え」のために、彼は五時から十一時までのあいだ、果てしない憂鬱と不安にまみれつつ、キンデールだのビスクープだのといった金貸したちを相手に、時をすごしてきたのである。これらの連中もまた彼の求めに応じ、気も狂わんばかりに、血眼になって走りまわっていた。(亀山訳、同書、p396)
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昨日(=2019年12月4日)はこの国にとっての2つの葬式の日。1つはFTAの成立、もう一つは、中村哲さんが殺されたこと。(http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-7a4f01.html マスコミに載らない海外記事さんのサイトへのコメント欄より引用)
日本も皆保険を事実上、完全にアメリカへFTAで売り渡してしまっている。(同上)
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私が数年前に書き写した哲さん関連記事「アフガニスタンのクナール河取水堰」もご参照ください。https://quercus-mikasa.com/archives/3205 「山田堰と三連水車をモデルとしたクナール河取水堰とマルワリード用水路揚水車」・・・ペシャワール会報 No.124 (2015年7月1日発行):
戦(いくさ)や目先の利に依らずとも多くの恵みが約束されている: (中村哲、2014年度現地事業報告、ペシャワール会報 p2-15より引用)
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