culture & history

望という字は、遠くを望み見る呪儀を示す象形字である

白川静 中国古代の文化 講談社学術文庫441 1979年

2015年11月27日 金曜日 曇りのち晴れのち雨

異族への呪儀

大鐃(だいどう)の出土地が、すべて江南の、しかも異族に接する辺境であるということは、この器のもつ目的が、その異族に対する呪的機能にあることをすでに示すものであるが、その器がまた、すべて眺望に適した高所に埋められていることから、その呪的方法は、この高所から外族にたいして行われる形式のものであることを、推測することができる。そのような呪儀として行われるものが「望(ぼう)」である。わが国で国見(くにみ)といわれるものであるが、中国における望の歴史はきわめて古く、またそれはのちに王朝の重要な国家的儀礼として典礼化された。わが国では国見歌として、「記紀」「万葉」のうちに、わずかに数編をとどめているにすぎない。
 望という字は、遠くを望み見る呪儀を示す象形字である。それは見るという、眼の呪力に訴える行為であった。見ることは、その対象にはたらきかけるという力があると、考えられていたのである。
 「万葉集」には、「見る」「見れど飽かぬ」という表現をもつ歌が、まことに多い。・・・(中略)・・・その対象を「見る」と歌うことによって、旅にあるものには魂ふり(たまふり)としての効果が期待され、聖所においては祝頌の意味をあらわすものであった。「望」もこれと同じく、その対象にたいして支配し呪詛する意味をもつ行為である。(白川、同書、p67-68)

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