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餘生 尚お在り 艱難の日

2016年8月18日 木曜日 晴れのち曇り

一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年

餘生尚在艱難日 長路多逢輕薄兒

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餘生 尚お在り 艱難の日,
長路 多く逢う 輕薄の兒。

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耿湋(こうい) 路傍老人 
http://baike.baidu.com/view/2737841.htm より原文を引用(ただし簡体中国字)
老人独坐倚官树,欲语潸然泪便垂。
陌上归心无产业,城边战骨有亲知。
余生尚在艰难日,长路多逢轻薄儿。
绿水青山虽似旧,如今贫后复何为。

http://www.sou-yun.com/Query.aspx?type=poem&id=43830&lang=t より原文を引用(繁体字)
路旁老人(唐·耿湋)七言律詩 押支韻
老人獨坐倚官樹,欲語潸然淚便垂。
陌上歸心無產業,城邊戰骨有親知。
餘生尚在艱難日,長路多逢輕薄兒。
綠水青山雖似舊,如今貧後復何爲。

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路旁老人(唐·耿湋)七言律詩 押支韻
老人 獨り坐して官樹に倚る,
語らんと欲して 潸然(さんぜん) 淚便(すなわ)ち垂る。
陌(はく)上 歸心 產業なく,
城邊 戰骨 親知あり。
餘生 尚お在り 艱難の日,
長路 多く逢う 輕薄の兒。
綠水 青山 舊に似たりと雖(いえど)も,
如今(じょこん) 貧後 復た何をか爲さん。(訓み下しは一海さん、同書、p330)

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焼け跡の風景である。そこにぽつねんと一人の老人が座っている。・・・(中略)・・・

餘生 尚お在り 艱難の日,
長路 多く逢う 輕薄の兒。

「在」は、「有」の字と機能を異にする。「餘生 尚お 艱難の日有り」、老人の余生にはなお苦難の日々がひかえている、というのではない。「餘生 尚お在り」、老人にはなお余生、生きねばならぬ残りの人生がある、しかしそれはすべて「艱難の日」だ、というのである。
 「輕薄兒」というのは、けばけばしい服装をした若者である。それは、金持ちの子弟に多い。古来よく楽府(がふ 歌謡)にうたわれ、・・・(中略)・・・   老人が故郷へと帰る長い道のり、その途中で出逢うのといえば、そうした連中ばかりである。(一海、同書、p331-332)

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ウィキペディアによると・・・
耿 湋(こう い、生没年不明)は、中国・唐代の詩人。大暦十才子の一人。
河東(山西省永済市)出身。763年(宝応2年)に進士及第。大理司から左拾遺に至った。『耿拾遺詩集』一巻が現在に伝わっている。
代表的作品に、『秋日』(五言絶句)がある。
秋日
返照入閭巷   返照(はんしょう) 閭巷(りょこう)に入(い)る
憂来誰共語   憂え来(きた)るも誰と共にか語らん
古道少人行   古道 人の行くこと少(まれ)に
秋風動禾黍   秋風 禾黍(かしょ)を動かす

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