philosophy

<神の死> vs「神の死」

2015年2月18日 水曜日 曇り

昨日は雲一つない快晴で昼間は気温6度まで上がり、屋根の雪は溶け、路面は乾き、春が来たかと思わせるような温かい日差しだった。スキー場の雪質もこれでは厳しそうだ。それでもまだ2月、まだどか雪も降り極寒に凍りつく日もやってくるだろう。今日はごく当たり前の曇り日。今年の2月は雪が少なくて助かっている。

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「二種類の神の死」

(1886年に書かれた「悦ばしき知識」の続編で)希望の光であるかのように語られている神の死は、もっぱらキリスト教の神の死を意味する。以後、必要な場合、この神を「神」と表記し、その死を「神の死」と表記することにしよう。すると、ニーチェにとって「神の死」はけっして悲しむべきことなのではない。それによって招来された現代のニヒリズム状況も同じである。それが悲しむべき異常な状態と見えるのは卑小な者どものパースペクティブからにすぎない。真実を受け入れる用意のある誠実な強者にとって、それはむしろ正常な状態の回復なのである。認識者のあらゆる冒険がふたたびゆるされるのだから。

以上、永井均「これがニーチェだ」 講談社現代新書 1998年 p83-4 「二種類の神の死」の項より引用。

喜ばしき知識 343 も参照ください。

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<神> vs「神」の表記法の定義: キリスト教の神だけを意味するのではなく、それを超えた神性一般を<神>と表記。キリスト教の神を「神」と表記。 永井 同書 p80、p83 より。

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