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1918年10月、ハシェクは人民委員としてブグリマ市の赤軍を組織した。

2021年1月4日 月曜日 曇り(外は激しく寒い)

ヤロスラフ・ハシェク 不埒な人たち ハシェク短編集 飯島周編訳・平凡社ライブラリー903 2020年(2002年刊行のものを増補し、平凡社ライブラリー版として再編集したもの)

 今回増補されたのは、「古い薬種店の話」と「ブグリマ市の司令官」の2編。この2作は、ハシェクの生涯のある時期を基礎とした自伝的要素を多分に含んだ短篇である。(飯島、同書あとがき、p372)

『ブグリマ」: この作品で印象的なのは、全体的にある種の緊張感が漂い、とくに母の遺影を前にして深く反省する姿(「戦略的苦境の中で」)など、他の作品とひと味異なることである。戦局の不安定、上層部からの無理な命令、軍内部でのいざこざなど、命をかけた革命の厳しさを体感したハシェクにとって、新しい心境が与えられたのかもしれない。(飯島、同書あとがき、p375)

補註: 巻末の年譜によって調べると、1918年10月、ハシェクは人民委員としてブグリマ市の赤軍を組織した。1920年12月にプラハに到着し、祖国での生活を再開(ただし、帰国数日前の諸事件により、チェコでの左翼革命運動は挫折していた)、とのこと。

・・三番目の審理委員会メンバーのアガポフは、三人のなかで一番急進的な意見の持ち主だった。・・・(中略)・・・アガポフの様子全体から見ると、帝政の崩壊以前に起こっていたすべてが、かれを冷酷で容赦ない、頑固で悲しい人間にしたのだ。かれは、あの惨めな十五ルーブル(補註:アガポフがモスクワの弁護士の事務員として雇われていた時に支給されていた月給の額)をかれに払っていた連中すべてに対して、ずっと昔からの精算書を突きつけて、かれの行くところすべてで過去の影を引きずる連中と戦い、周囲に疑惑の目を走らせ、誰か知られざる裏切り者がいると常に考えている。・・・(中略)・・・会話の中で、わたしがチェコ人だということに話がくると、アガポフはこんな所見を述べた。「オオカミに餌をやらなければ、絶えず森の中をねらうものだ(裏切り者に気をつけろ、ということ)」(ハシェク、『ブグリマ市の司令官』、同書、p348-349)

補註: 判決が下されれば「12時間以内に処刑執行」をちらつかされながらの審問の場面は、危機・緊張感迫る、(ある意味ではハシェクらしくない)張り詰めた描写であった。ただし、一篇通してはめちゃめちゃの連続で、革命時の激しい混乱とハシェクらしい明るいユーモア・軽さで描かれている。まさに筆に力あり。

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