2023年12月26日 火曜日 雪
長浜浩明 謀略の戦争史 日本人が知っておきたい歴史の裏側 展転社
「1937年8月12日夜明け前、中国軍大本営の正規軍大部隊が上海まで前進し、国際租界の日本人居住区に包囲攻撃をしかけてきた」(『シナ大陸の真相』p157)
・・・(中略)・・・
14日午前十時、中国機が飛来し、日本領事館、(海軍)陸戦隊本部、軍艦出雲、地上待機の海軍航空機、上海市街地への空爆を開始した。彼らはフランス疎開なども無差別爆撃し、英国人経営のパレスホテルでは数百人が死亡、ライシャワー元駐日大使の兄もこの爆撃で亡くなった。
「『チャイナ イヤーブック』一九三八年版は「支那軍機、国際租界を空爆」と明記し、死者1,741名、負傷者1,868名と記録する。その大半は支那人であった。自国民の頭上に、支那軍機が爆弾を投下したのである。意識的に自国民を攻撃した事例としては世界記録であろう。」(『南京虐殺の徹底検証』p26)
・・同日、劣勢の日本軍は台湾などから中国軍の飛行場への爆撃を開始した。だが護衛を伴わない爆撃機は中国空軍の迎撃により、大損害を被った。アーベント特派員は次のような記事をニューヨークに送った。
「日本は、第一次上海事件を繰り返すを好まず、忍耐、穏忍以て極力悪化を防止しようと努めたるも、支那における外国権益を渦中に引き込むを企図したる支那人によりて、文字通り戦争に押し込まれたるなり」(『南京虐殺の徹底検証』p27)(長浜、同書、p333)
**
補註: 長浜さんの引用していらっしゃる『南京虐殺の徹底検証』の本、あるいはいわゆる「南京事件」についての本については、amazonなどの書評欄を概観すると賛否両極端であり、私は今までにほとんど読んだことがなかったので、今はコメントすることは差し控え、これから少しずつ勉強を追加したうえで考察を深めてゆきたい。
**
日本は「日中和平斡旋」を米独に依頼
・・だが、日本との戦争も辞さないルーズベルトは日中の和平を望んでおらず、平和斡旋の努力を行おうとはしなかった。両国の戦争は米国経済に好ましく、日本の疲弊は米国に有利となるからだ。
国内では、近衛や東條は対中強硬論であり、それはスターリンやルーズベルトにとって歓迎すべき愚策だった。対する石原や多田は、「警戒すべきはソ連」なる認識であり、日本及び満州の国力や兵力を鑑み、対中和平を模索していた。
スパイから日本がトラウトマン駐支大使やグルー米国大使に対して、日中の和平斡旋を求めていることを知ったスターリンは、和平工作を潰すようゾルゲに指令した。(長浜、同書、p340-341)
**
*****
*********************************