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ヤン・フスの宗教改革 中世の終わりと近代の始まり

2021年1月7日 木曜日 曇り(天気予報では吹雪くとのこと)

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佐藤優 ヤン・フスの宗教改革 中世の終わりと近代の始まり 平凡社新書947 2020年

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本書で私はチェコのプロテスタント神学者ヨゼフ・ルクル・フロマートカ(1889−1969)の神学を基礎にフス派の宗教改革を読み解いた。その方法は、信仰即行為というアプローチにある。(佐藤、同書、p187)

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マタイによる福音書 16章21〜28節: この箇所は教派的なバックグラウンドで読み方が違ってきます。  正教会やカトリック教会は信仰と行為は別と考えますが、プロテスタント教会は信仰から行為が生じると考えます。信仰則行為なので、行為に応じて報いられるというのは、信仰に応じて報いられるということと同義です。  また、ここで言う「命」は、イエスと触れたことによる命なので、状況によっては生命を捨ててでも自分の命を守らないといけないこともあります。(佐藤優、同書、p150)

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資本主義の限界を超えるには: フロマートカはキリスト教徒のこの世界に対する責任を次のように考えます。・・私たちは新しい方法によって、また社会に対する新しい反宗教的な見解に基づいて、新しい社会をつくろうとするいわゆる無神論も理解しなければならない。・・預言者と使徒の生きた神の言葉が年月を経て、死した定型、実のない教義文に変わり果て、キリスト教社会の伝統は・・、人間の真の人間性、人間の定めを抑圧してきたことを悔い改めながら認めるだろう。上流社会が誇らしげに聖堂や教会に通っていた一方で、ぼろをまとった大勢の民が飢えに苦しみ、死んでいったことを忘れてはならない。キリスト教諸民族は何世紀にもわたってアジアやアフリカの有色人種の血と汗の上に生きてきたことも指摘しよう。(フロマートカ『宗教改革から明日へ』、佐藤優の本書、p152に引用されている)。

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この本の帯より(本文は、佐藤、同書、p187)<以下引用>

新型コロナウイルス対策の過程で、無意識のうちに翼賛という手法が強まっている。無意識のうちに行政府が司法と立法に対して優位になる可能性がある。それは国家による国民の監視と統制の強化に直結する。・・行政権の優位、「自粛警察」に見られる翼賛の傾向は今後も続く。この種の危機を過小評価してはならない。<以上、引用終わり>

危機の時代に求められる革新の思想とは?

ルター、カルヴァンより早かった15世紀チェコの宗教改革の神髄を明らかにする(同じく、本書の帯より引用)

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補註: 本書は歴史的なヤン・フスの宗教改革を扱うというよりも、神学や地政学的な視点から、ヤン・フス以来の流れを俯瞰するといった啓蒙書である。(補註者は、前回の「(精神科医トミーさんの)・・一秒で解決する・・」と同様、家人の購入した書籍を借りて読んで過ごしている)。

<以上、ウィキペディアより引用終わり>

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カレル橋。

補註: ヤン・フスの生涯は 1370年頃〜1415年。カレル橋は1357年に建設が始まり、1402年に完成した(ウィキペディア)とのことなので、フスはこの橋の建設を眺めたこともあり、完成してからは何度も渡ったことがあったことだろう。

ウィキペディアによると・・・<以下引用>

ボヘミアをチェコ語ではチェヒ(チェコ語: Čechy)と呼び、チェコ共和国(チェコ語: Česká republika)、通称チェコ(チェコ語: Česko)をチェヒとも呼ぶ。由来は6世紀頃までに形成されたチェコ人(チェコ語: Češi)にあり、意味は「『人々/光』の土地」である。ラテン語における『ボヘミア』(ラテン語: Bohemia)の呼称は、古代にボヘミアからモラヴィア、スロバキアにかけての地域に居住していたケルト人の一派、ボイイ人(古代ギリシア語: Βόϊοι、ラテン語: Boii)に由来し、意味は「『(戦士の)人々』の土地」と考えられている。ドイツ語ではベーメン(ドイツ語: Böhmen)と言い、ラテン語の『ボヘミア』の語源と同じ由来と考えられている。


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プシェミスル家断絶後の1310年からはドイツ貴族ルクセンブルク家がボヘミア王を受け継いだ。ローマ皇帝カール4世となったルクセンブルク家のボヘミア王カレル1世は、1348年にプラハにプラハ大学を設立してボヘミアに学問を根付かせた。中世から近世にかけてはプラハを中心に学問、とくにキリスト教の学者が多く活躍した。15世紀にはプラハ大学からヤン・フスが出て宗教改革に乗り出した。1410年に始まったグルンヴァルトの戦いでヤン・ジシュカ率いるボヘミア義勇隊が、それまでチェコを実質支配していたドイツ人を追放し、ポーランドのフス派プロテスタントと協力して戦い抜いたことはスラヴ民族主義の萌芽として注目される。外圧により1415年にフスがジギスムントに処刑されて宗教改革が失敗に終わると、1419年のプラハ窓外投擲事件をきっかけにフス戦争が始まった。 <以上、ウィキペディアより引用終わり>

カレル橋

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この佐藤優さんの本では、特に後半部分は、フロマートカ(1889-1969)のキリスト教(プロテスタント)神学の紹介が中心に据えられている。

著者の佐藤優氏にはフロマートカの著作の飜訳が4つほど出版されている(ウィキペディアより<以下引用>):

* J.L.フロマートカ『なぜ私は生きているか J.L.フロマートカ自伝』佐藤優 訳・解説、新教出版社、1997年1月。ISBN 4-400-52029-3。 – 原タイトル:Proč žiji?。 

 * J.L.フロマートカ『なぜ私は生きているか J.L.フロマートカ自伝』佐藤優 訳・解説、新教出版社、2008年4月30日(原著1997年1月)。ISBN 978-4-400-34415-5。 – Hromdka (1997)のオンデマンド印刷版。

* フロマートカ『神学入門 プロテスタント神学の転換点』平野清美 訳、佐藤優 監訳・解説、新教出版社、2012年3月23日。ISBN 978-4-400-31981-8。 – 原タイトル:Prelom v protestantske teologii原著第2版の翻訳。

* ヨゼフ・ルクル・フロマートカ『人間への途上にある福音 キリスト教信仰論』平野清美 訳、佐藤優 監訳、新教出版社、2014年7月25日。ISBN 978-4-400-31983-2。 – 原タイトル:EVANGELIUM O CESTĚ ZA ČLOVĚKEM。

補註: ヨセフ・ルクル・フロマートカ(チェコ語: Josef Lukl Hromádka、1889年6月8日、オーストリア帝国・モラヴィア辺境伯領ホッツェンドルフ(Hotzendorf, チェコ語: Hodslavice) –  1969年12月26日)は、チェコのプロテスタント神学者。

現在のチェコ東部モラヴィア・スレスコ州の街ホッツラヴィツェ(Hodslavice)に生まれる。ウィーン、バーゼル、ハイデルベルク、アバディーンで神学を、プラハで哲学を学ぶ。1939年に渡米、プリンストン大学の客員教授になった。その後アメリカ合衆国に留まらず、敢えて第二次世界大戦後の1947年に共産主義政権下のチェコスロバキアに帰国、ソ連の肯定とマルクス主義との対話を推進した為、神学者達から「赤い神学者」というあだ名を付けられた。最後までキリスト教の信仰を捨てなかったが、共産主義体制の崩壊を目撃出来ないままプラハの病院で亡くなった。

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