philosophy

私たちは死者を何らかの存在としてとらえている

2015年5月15日 金曜日 曇り 非常に寒い午後 外気温はクルマの温度計で8.5度程度。

中島義道 哲学の教科書:思索のダンディズムを磨く 講談社 1995年

もし死がまったくの「無」であると仮定しますと、われわれの死者に対する態度は少しおかしい、と言わねばなりません。われわれはやはり死者をまったくの「無」ではない、何らかの存在としてとらえていることになります。それは、たんなる錯覚ではあるまい、こうした態度こそ死の了解の一つのように思われます。
 そして、これを文化とか心理とか社会とかの方向にもってゆかずに、ものごと自体に迫って問いつづけるとき、哲学固有の領域が開けます。・・・(中略)・・・ こうした問いを突きつけられたとき、「いろんな場合があるよ」とか、「人によって違うんじゃないの」とか、「時代や文化によって違うよ」といった相対論に逃げ込まずに、どこまで事柄の普遍性をつかんで考え続けることができるか、これが哲学の適性があるか否かの分かれ目になると思います。(中島義道 哲学の教科書:思索のダンディズムを磨く 講談社 1995年 p28)

*****

**********

RELATED POST