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柳條は色を弄して見るに忍びず(高適から杜甫へ)

2016年4月10日 日曜日 晴れ 暖かい陽差し

一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年 p17

高適 人日杜二拾遺に寄す

今年人日空相憶
明年人日知何處

今年 人日 空しく相い憶ふ
明年 人日 いずこなるかを知らん

人日 正月七日 この日の天候によって人類全体のその年の運勢をうらない、晴れならば吉、曇りなら凶とした、ということから出た呼び名である、という。(一海、同書、p17)

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    人日寄杜二拾遺  高適

    人日題詩寄草堂
    遙憐故人思故鄕
    柳條弄色不忍見
    梅花滿枝空斷腸
    身在南蕃無所預
    心懷百憂復千慮
    今年人日空相憶
    明年人日知何處
    一臥東山三十春
    豈知書劍老風塵
    龍鐘還忝二千石
    愧爾東西南北人

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補注 拾遺
官名。天子の過ちを諫める役。

補注 http://blogs.yahoo.co.jp/sigureteikamoyama/39769803.html 「古代文化研究所:第2室」さんの訓み下しを以下に引用:

 人日杜二拾遺に寄す  高適
    人日、詩を題して、草堂に寄す。
    遙かに憐れむ、故人、故鄕を思ふを。
    柳條は、色を弄して、見るに忍びず。
    梅花は、枝に滿ちて、空しく斷腸す。
    身は南蕃に在りて、預る所無く、
    心に懷く、百憂、復た千慮なり。
    今年の人日、空しく相ひ憶ひ、
    明年の人日、何れの處なるかを知らん。
    一臥東山、三十の春、
    豈に知らんや、書劍、風塵に老いんとは。
    龍鐘、還た忝なうす、二千石、
    愧づ、爾、 東西南北の人に。

最後の2句に関して、「古代文化研究所:第2室」さんの訳は以下の通り:
私はあなたより遙かに年寄りなのに、今でも郡守の地位であると言うのが、
放浪する身の上であるあなたに対して、何とも心恥ずかしくてならない。

補注 忝 はWEB漢和辞書によると、忝い(かたじけない)
音読み テン
訓読み かたじけな(い)はずかし(める)

補注 高適については
中国版ウィキペディアの百度百科baike.baidu.comによると・・・
http://baike.baidu.com/subview/16967/6250840.htm
高适(约704年—约765年),字达夫、仲武,汉族,唐朝渤海郡(今河北景县)人,后迁居宋州宋城(今河南商丘睢阳)。唐代著名的边塞诗人,曾任刑部侍郎、散骑常侍、渤海县候,世称高常侍。
高适与岑参并称“高岑”,有《高常侍集》等传世,其诗笔力雄健,气势奔放,洋溢着盛唐时期所特有的奋发进取、蓬勃向上的时代精神。开封禹王台五贤祠即专为高适、李白、杜甫、何景明、李梦阳而立。后人又把高适、岑参、王昌龄、王之涣合称“边塞四诗人”。

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