culture & history

畏敬と嫌悪という二元の相剋から生まれた蛇の象徴物

2016年4月20日 水曜日 (朝)快晴

土筆摘みは今が旬
土筆を厚別川の畔で摘んできた。胞子の一杯つまった頭の部分だけを摘む。土筆摘みは昨日今日が旬であろう。今日は陽差しが暖かく、いよいよ札幌にも春らしい日の訪れである。道をあるいても小鳥のさえずりが賑やかになったのが分かる。

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吉野裕子(よしのひろこ) 蛇ーー日本の蛇信仰 講談社学術文庫 1378・Y960 1999年(原本は、1979年、法政大学出版局)

日本の蛇信仰:畏敬と嫌悪という二元の相剋から生まれた蛇の象徴物

しかし、日本神話の中には、これら著名の蛇のほかにも、神話の表面からは完全に近い形で隠されてしまっている蛇もまた数多いのではなかろうか。 というのは、神話成文化の時代には、人智も進み、すでに蛇は半ばうとましいものとされていたに相違なく、神話の表面にうかんでいる前述の蛇らでさえ、けっして満足な姿で表出されているわけではない。 ・・・(中略)・・・これらの蛇の扱いはまことに冷たく残酷であって、それはこれらの蛇がいずれも隠そうとして隠しきれなかった蛇であることを示す。・・・(中略)・・・ 事情がこのようなものである以上、日本神話の中には、このほかにも隠された蛇が、いくつかあるはずである。本章はそれらの隠されているに違いない蛇発掘への一試論である。(吉野、同書、p118-119)

日本本土の縄文時代における蛇の扱いは、蛇そのものを露わに器物に造形し、蛇をそのまま身につけている。これを直接法とすれば、弥生・古墳時代のその扱いは、間接法というべきかもしれない。しかも、それはあまりにも見事になしおおされたため、後代の人には、それが蛇の象徴であることは気づかれることなく過ぎてしまったのである。(吉野、同書、196)・・・(中略)・・・日本の場合は、縄文中期を除いては、蛇は表面に現れず、三角、菱形、同心円、渦巻紋などの形で、装飾古墳の壁画、埴輪の衣装などの中に、その実体を深く隠してしまっているので、これらの紋様の意味は謎として残されることになったと考えられる。(吉野、同書、p198)

しかし、神事における蓑笠の本義は、すでに神話成文時代に、その一部にせよ見失われていると疑われる節がある。(吉野、同書、p204)

原初において蛇は絶対の信仰対象であったが、知能が進むにつれ、日本民族の蛇信仰の中には、この絶対性、つまり畏敬とは別に、強度の嫌悪が含まれてくるようになる。 日本神話の中に描かれている蛇は、すでいこの種の絶対の信仰対象であった原初の蛇ではなく、畏敬と嫌悪の矛盾を内在させている蛇であり、しかもどちらかといえば、嫌悪の要素の方がむしろ勝っている蛇である。 畏敬と嫌悪、この二要素を内在させているため、蛇信仰はこれを口にすることも、筆に上せることも避けられて、多少の例外はあるにせよ、蛇信仰はもっぱら象徴につぐ象徴の中にその跡を隠して存続をつづけることになる。 その象徴の物実は、鏡・剣をはじめ、鏡餅・扇・箒・蓑・笠などのほか、外見からはほとんど蛇となんの縁もゆかりもなさそうなものが、「蛇」として信仰されたのである。・・・(中略)・・・ 強烈な畏敬と物凄い嫌悪、内在するこの矛盾が蛇の多様な象徴物を生み出す母胎であり、基盤である。・・・(中略)・・・ 蛇象徴物は、日本民族の蛇に対する畏敬と嫌悪という二元の強度の緊張の上に出現したものであって、この二者の相剋なしには到底生まれ出るはずのものではなかったのである。(吉野、同書、あとがき、p306-307)

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