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道徳はどのように立ちあがるか:悪の定義

2020年6月15日 月曜日 曇り時々雨のち夕方から晴れ

小浜逸郎 倫理の起源 ポット出版 2019年

「悪」の概念とは何か?

そのつどその時々の共同性からの排除や孤立化を招くような、個別的な意志や行為こそがまさにそれにあたるのである。なぜなら、こうした個別的な意志や行為に踏み込もうとしたり、踏み込んでしまったときにのみ人は多かれ少なかれ「良心の疚しさ」を覚えるからであって、「良心」とはもともと自分が生きてきた共同社会によって個人の内面に培われるものだからである。  「こんなことをしたらあの人に悪いのではないか」と感じるとき、その相手がたとえひとりであっても、私たちは、その相手の向こうに「世間」や「社会」といった共同性全体の影を見ている。その相手になされるべきであない「こんなこと」は、その相手にのみかかわることであっても、常に同時に「人間」一般に向かってなされるべきでないことという意味を帯びている。(小浜、同書、p52-53)

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・・個別の意志や行為をそれだけとして取り出して、何々は善、何々は悪、というように絶対的な規定をほどこすことはできない。しかし、悪について私が先に説いた「人が自分の存在の根拠としての共同性に反する意志や行為を示すこと」という規定、あるいは和辻の説いた「全体性からの離反としての個への停滞」という規定を善悪の絶対的な識別基準とすれば、単なる相対主義に陥らないために必要な抽象水準を保つことができる。しかも、個人の心中において、自分の過去や未来における意志や行動が善にかなったものであるかどうかという判定が確実に得られるのである。(小浜、同書、p164)

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2018年6月・撮影。オダマキの花。

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