2016年12月21日 水曜日 曇り
カレル・チャペック ひとつのポケットから出た話 栗栖継・訳 晶文社・ベスト版 1997年(日本語版は1976年初版、オリジナルは1929年)
**
補註 チャペックの刑事物短編集。挿絵はお兄さんのヨゼフ・チャペックではなく、日本の杉田比呂美さんによるもの。表紙と裏表紙のカバーにはそれぞれダーシェンカらしきフォックス・テリアも描かれている。スリルあふれる推理事件というよりは、むしろ(考えようによっては)深く心に染み入る課題を気付かせてくれる考察の書。もちろん、面白いので気楽にどんどん読み進められる娯楽書でもある。
**
・・・検事がこれに対しどういうか、知りたいね。きみ、世の中にはときどき、神様が裁きをしなければおさまりのつかぬような事件があるよ。神様だったら、たとえばこういうおそろしい、大きな罰を課すことができるだろうからね。ーーー神様の名において裁判をするには、われわれはあまりにも小さな存在だよ。(チャペック、百姓小屋の犯罪、同書、p268より)
**
課長さんは首をふった。「それがわからないんです」と、彼はたよりなさそうにいった。「つまりわたしにうらみを抱いているかもしれぬと思う人は、とても多くて・・・」そしてどうしていいからわからぬといったふうに手をふった。「何人の人の心を傷つけたかわかったもんじゃありませんよ。あの窓のところには、これから腰をおろさないことにします。それであの事件をそのままにしておいてくださるよう、お願いにあがったんです」(チャペック、殺人未遂事件、同書、p300)
**
わたしたちにできるのは罰することだけですが、罪を許す何者かがいなくちゃならん、と思うんです。その正真正銘の最高の正義ってものは、なにかこう愛みたいな不思議のものなんでしょうよ。(チャペック、郵便局の犯罪、同書、p323)
**
“通行を禁ず”という立て札があったために、わしたちも、憲兵たちも、ジプシーたちも、子供たちもだれひとり、そこを通って青い菊の花を探しにいける、ということを思いつかなかったのじゃ。何々すべからず、という立て札はこんな大きな力を持っているのじゃ。・・・(中略)・・・線路づたいに歩くことはきびしく禁じられており、それっきりだからじゃ。ただ頭のオカシイのクラーラだけがそこに行くことができたというわけじゃ。なぜならば彼女は立て札が読めませんでしたからな。(チャペック、青い菊の花、同書、p29-30)
**
補註 仮釈放者(チャペック、同書、p301−)
期せずしてデモの先頭に立ってしまい、逮捕される・・という場面は、チャップリンのモダンタイムズを思いださせる。
ウィキペディアによると・・・『モダン・タイムス』(Modern Times)は、1936年のアメリカ映画。チャーリー・チャップリンが監督・製作・脚本・作曲を担当した喜劇映画・・トラックから落ちた赤旗を拾い運転手に返そうと追いかけていく内にいつの間にかデモ隊の先導をきってしまい、そのリーダーと間違われて捕まってしまう場面がある。
チャペックの「ひとつもポケットから出た話」の出版は1929年であるから、1936年のモダンタイムズよりもずっと前である。
チェコ語で書かれた著作がどの程度のスピードでハリウッドまで情報伝搬されたかという状況がいささか曖昧ではあるが、チャップリンがチャペックの「仮釈放者」を伝え聞くか読むかしてモダンタイムズに取り入れた、という可能性は否定できない。ちなみに、ウィキペディアによると・・・「本作(モダンタイムズ)はルネ・クレール監督作品『自由を我等に』と内容が酷似している(ベルトコンベアが走る流れ作業、それから起こるドタバタ騒ぎ、ラストの野原の直線道路を行く構図などが似ているといわれる)。そのため『自由を我等に』のドイツの製作会社・トビス社(Tobis Film)はチャップリンを著作権侵害で告訴しようとした。しかし、証人に立ったルネ・クレールは、「もし『モダン・タイムス』が自分の映画からヒントを得ているならば、光栄に思う」と証言したため、告訴は取り下げられている(1937年)」「チャップリンは『独裁者』でチャップリンの友人コンラッド・ベルコヴィチから盗作訴訟を起こされた」こともあるという(Chaplin Dictator In Plagiarism: Suit Conrad Bercovici Sues Comedian For Use of Film Idea. The Montreal Gazette – Apr 15, 1941. )。つまり、チャップリン本人は、面白いものを取り入れて自分のものとして使うこと、自由自在であったと思われる。
チャペック氏が1936年から1938年という緊迫した短い期間の内にプラハないし旅行先の都市でチャップリンのモダンタイムズを見て楽しむ機会があったかどうか・・・それは(今の私には)分からないが、もしそんな機会があったとしたら、ルネ・クレール同様に、もし『モダン・タイムス』が自分(カレル・チャペック)の短編から(ちょっぴり)ヒントを得ているならば光栄、と思って笑ったことであろう。
なお、「期せずしてデモの先頭に立ってしまい、逮捕される」・・という場面は、これ自体、それほど奇抜な光景ではないので、(1)この二人がそれぞれ独立して思いついた、(2)二人とも以前の別のオリジナルからアイデアをもらった、などいろいろな可能性がある。チャペックの旅行記や(もしあれば)映画評論など、将来読む機会があれば、この点についても何らかのヒントないし証言が得られるかもしれない。
*****
********************************************