2017年1月17日 火曜日 晴れのち曇り
Lucy Maud Montgomery: Anne of Green Gables Complete Collection (Book House) 2016/7/11 | Kindle
Book 4 Anne of Windy Poplars (first published in 1936)(オーディオブックは未発売)
Book 5 Anne’s House of dreams (first published in 1917) 今回のオーディオブックは、ナレーター Barbara Caruso; (Sep 13, 2005. 8hr44min, Recorded Books)を聴いた。
以下、2017年1月24日追記
6) Anne of Ingleside ages 34-40 (オーディオブックは未発売。)
7) Rainbow Valley ages 41-43 今回のオーディオブックは、5)と同じナレーター Barbara Carusoさんで聴いた。Length: 8 hrs and 54 mins, Release Date:07-28-06, Recorded Books
8) Rilla of Ingleside (first published in 1921) ages 49-53 オーディオブックは、ナレーター Emily Durante で聴いた。 Length: 10 hrs and 19 mins, Release Date:03-21-11, Tantor Audio
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“Such a friend as I never had before. I have had many dear and beloved friends—but there is a something in you, Leslie, that I never found in anyone else. You have more to offer me in that rich nature of yours, and I have more to give you than I had in my careless girlhood. We are both women—and friends forever.” (ditto, 5 House of dreams, Chapter 21)
補註 第5巻、アンとギルバートは結婚し、小さな港の村 Four Winds の小さな家 house of dreams に暮らし始める。ギルバートの医師としての仕事ぶり、地域の人たちとの交流が生き生きと描かれる。グリーンゲイブルの家族を迎えての主婦アンの初めてのクリスマス、地域の友人と迎える新年。
そして、初めての出産と生まれたばかりのジョイの死、アンの悲しみ。美しいレスリーの悲しい半生と、アンとレスリーの友情。
補註 オーディオブック Barbara Caruso さんの朗読は上手で、人々の会話の朗読は抑揚に優れている。いわゆる「おばさんの声音」も「おばさんらしく」て、聴き取りやすい。男性のパートもたとえば Captain Jim の声はまるで「おじさんのような」声音で、聴き取りやすい。
もう少しスピーディに読んでもらえれば読書の効率は高まるのかも知れないが、アン・シリーズを楽しむには、ゆったりと・・が基本なのかも知れない。4巻をパスしているものの、5巻まで聴了(2017年1月18日)。
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補註 2017年1月24日追記
7巻を同じ Caruso さんの朗読で聴き(6巻はパス)、8巻は Emily Durante さんの朗読で現在3分の2ぐらいまで聴了。8巻を朗読している Emily Durante さんは、2巻のナレーターの Mary Sarah さんの朗読と同様、非常に上手な朗読である。
補註 家庭小説か?
ところで、第8巻を読み終えるのは私には相当に忍耐のいる事となってきている。
第8巻の主人公はアンの次の世代、リラ。第一次大戦の開戦と同時に大英帝国の一員のカナダも参戦し、「ルシタニア号」の後は、カナダからさらに多くの若者が参戦していく。リラの物語はいわゆる「銃後の少女や婦人たち」の物語になってしまった。遠いフランダースの塹壕戦へと兄を、そして恋人を送り出す15歳(から17歳)の少女が主人公であり、それなりに良く書かれていると思う。だが、私が今読みたい類いの本ではなかった。
アン・シリーズを読み始めたきっかけは、良質の「家庭小説」をいくつも読み比べてみたいという希望であった。アンの少女時代、シリーズの1巻から2巻ぐらいまでは「良い家庭小説」といってよいものであったが、残念ながらそれ以後の巻では生き生きとした少女・女性、そして細やかな「家庭」が描かれなくなってしまった。
特にこの第8巻では、戦争という非常かつ非情な題材が用いられているために人々の暮らしは大味に描かれる。お母さんのアンは49-53歳ということだが、この小説 Rilla of Ingleside では存在感が稀薄である。娘のリラとアンとの細やかな心の触れあい・情愛の振れがじょうずに描かれているとは言い難い。あんなに活発なイマジネーションの才能を持っていて、お喋りで、しかも細やかであったアンは、お母さんになっても小説に描かれるべき多くのものをもっているに違いない。なのに、主人公がその娘のリラになってしまえば、「特記すべき事のない」大人として見すごされてしまうのだろうか。これではアンの魅力に惹かれて読み進めてきた読者にとっては余りにも寂しい。
アグネス・ザッパーさんの「愛の一家」で、お母さんのチェチーリアさんが、比較的寡黙で感情を表に出すことが少ないのに、あんなにも暖かい家庭を築いて、それが小説に簡潔かつしっかりと描かれているのは素敵なことである。
聞くところでは、戦地に赴いた若者たちは、リルケの詩集とともにこのザッパーさんの「ペフリング一家(1907年刊)」を持って行ったという。「ペフリング一家」には比較的平和な時期の幸福な普通の家族が描かれていて、それがフランダースの塹壕戦で苦しんでいるドイツの若者たちの心にひとときの平安をもたらしてくれるお守りになっていたのかもしれない。
この「愛の一家」も、第一次大戦では戦争の悲惨さの中に呑み込まれたことであったろうが、さて、ザッパーさんはそれをどのように描いただろうか、あるいは描かなかっただろうか。(ザッパーさんには戦争のことなど描かないで欲しいという気持ちも、私にはあるのだが。)
まだ8巻は3分の1(朗読にして3時間半)ほどが残っていて、読み終えるまではモンゴメリーさんの戦争に対する立ち位置に関して論評するのは控えたい。戦争が始まる前とそれを通過した後とで、果たしてアンやリラたちは、どう変わっていくのだろうか? また、それはどのように描かれるのだろうか。モンゴメリーさんの筆致には、ここまで読んできて余り多くを期待できそうにない。だから、この読書を途中で投げ出したいような情けない胸騒ぎがするのである。細かい活字で組まれた分厚い紙の本であれば、とうに投げ出していたことだろう。良い意味で予想が裏切られることを期待して、ともかく最後まで聴き通してみることにしよう。(2017年1月24日追記)
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2017年1月25日追記
— Certainly Jims was born lucky. I saved him from slow extinction at the hands of Mrs. Conniver—Mary Vance saved him from death by diphtheric croup—his star saved him when he fell off the train. And he tumbled not only into a clump of bracken, but right into this nice little legacy.
“Evidently, as Mrs. Matilda Pitman said, and as I have always believed, he is no common child and he has no common destiny in store for him. (Rilla of Ingleside, Chapter 32)
補註(2017年1月25日追記)
Certainly Jims was born lucky.・・・幼くして本当の母を亡くした孤児のジムズを、”lucky”ということはできても”happy”ということは決してできないと思う。少なくとも「家庭小説」としては、この第8巻は失格ではなかろうか。
この物語で私が特に不服に思うのは、このいわゆる”war child”のジムズの育てられ方である。アンとギルバートの家庭に赤ちゃんの頃から引き取られて育てられる。だから、当然のこととしてアンとギルバートが親権者の代理として責任を持って愛情深く育てなければならない・・なのに、ほぼ少女リラ(15歳から19歳)に任せきりで関わろうとしていない(ようにしか小説の中で描かれていない)。
ジムズが”diphtheric croup”(ジフテリア・咽喉頭気管支炎)で死にそうになったときも、アン夫婦はダイアナを訪ねていて不在である。アンがダイアナとの友だち付き合いを許されたのは、アンがダイアナの幼い弟の同じ病気「クループ」を治療できたことが契機ではなかったか。それを思い返すと、余りにも皮肉で、昔日の感というよりも、同一登場人物とは思えないほどである。(たとえ出かけるときには無症状であったとはいえ)こんな赤子を少女リラに任せて、夫婦して遠方に出かけることがあってよいのだろうか。我が子同様の扱いであれば常識的にありえない夫婦の旅行だと思う。二人の帰宅後も、親権者代理のギルバートは、メアリー・ヴァンスの民間療法に対して冗談めかした一言の発言で終わらせている。アンに至ってはこの大事に際して言及さえもされていない。(「本当のアン」であれば・・どんなに自責の気持ちで引き裂かれることであろうか・・)
また、リラがジムズの手を引いていて、ゆっくりと動き出した列車からジムズが落ちた事故・・我が子であれば潜在的に危険な状況で眼や手を放すことは常識的に考えられない。リラが不注意だというよりは、少女リラに親代わりを任せることがそもそも無理なのである。
アンは孤児であり、このジムズもほぼ孤児の状況でアンの家庭に引き取られている。アンが愛情深く育てなければ誰が愛情を注げるというのだろう。なのにアンは戦争支援の赤十字の仕事にかかりきりで家にほとんどいないのである。「本当のアン」はどこに行ってしまったのだろう? ギルバートも医師の仕事で深夜までほとんど家を空けている。この夫婦がジムズとどのように関わっていこうとしているのか、この小説を読んでもわからない。
この8巻での「孤児ジムズ」の扱いは、1巻2巻を読んで「孤児アン」の立派な成長に感心し、母親としてのアンにもさらに多くの期待をかけて8巻まで読み進めてきた読者(私もその一人)を真に悲しませるのではなかろうか。
映画の続編ではしばしば経験されることであるが、続編が第1巻よりも優れることは難しいのである。モンゴメリーさんが後の幾つかの巻巻で(少なくとも私という読者に対して)成功できなかったのは、残念なことというよりはむしろ「よくあること」と受け止めるべきかもしれない。
ともあれ、無事に第8巻まで読み通した。(2017年1月25日追記)
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