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星新一 気まぐれ指数

2017年1月18日 水曜日 雪

星新一 気まぐれ指数 新潮文庫 昭和48年(オリジナルは昭和38年・新潮社)

「たしかに、どうかなったようだ。なにもかもが、にせに見え、信用できなくなってきた。いっそのこと坊主にでもなりたい気分だ」
「冗談じゃありませんよ。野球の選手なら移籍、喫茶店なら新装開店もできましょう。しかし、神主が簡単に坊主になれるほどには、まだ社会が進歩していないようです」
「もののたとえだ。・・だが、こう、にせが続くのは、なにかのたたりかもしれないな。他人なら、おはらいで厄を落としてあげることもできるが、自分自身のこととなると、どうしていいのかわからん」
・・・(中略)・・・
「お酒が飲めるのは、神主のいいところです。坊主になろうなどという気も、消えてしまうでしょう」(星、同書、p254-255)

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「普遍性がないから、みな自信を失い、素性や鑑定書をたよりにすることになるのです。よくない傾向です。わたしは、そのもとの仏像をしりませんが、これだけ近代化していれば独自性を主張できます。蛍光灯を電球の模造だとは、だれも非難しないでしょう」(星、同書、p257)

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「それはいいことだ。仏像とは、のんびりした時代に、時間をかけ入念に作られたものだ。名声や金といった邪念にとらわれ、そわそわと作った作品とはちがうからな」(星、同、p287)

「しかし、いちがいに非難はできないよ。強要されてやむなく作らされたのかもしれない。それとも、彼は仏の姿はこうあるべきで、ほかの形は考えられない、という信仰だか信念だかをもっていたのかもしれない。五百年もまえの人を、現代の常識でとやかく言っては気の毒だよ」
「それはそうですけど・・」
「時代が変わるにつれて、かつての悪人が善人になり、それにあきると、また悪質な野心家に戻されたり、いまだに忙しくて往生できない人が多い。この作者は仏像を作ったのだし、私たちの同業者で先輩でもある。まあ、善意に解釈してあげよう」(星、同、p292)

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須美子が三人を見くらべて言った。
「さっきまでは主犯あらそいだったけど、いつのまにか、被害者あらそいになってしまったわ。どこで道をまちがえたのでしょう」(星、同、p304)

「しかたがないようね。死ぬのよりは、いくらかましのようだわ。テレビでドラマや舞台中継を見ていると、たいてい結婚か死でおしまい。安易きわまる手法、もっと変わった幕切れはないのかと思っていたけど、人生そのものも、そうなっているらしいわ。神さまだか仏さまだかしらないけど、ドラマの台本の量産を押しつけられたら、型にはまるのも無理もないのでしょうね。批評家を自任する黒田さんも、みとめているようだし・・」(星、同、p312-313)

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補註 星新一の作品の中では珍しい比較的長篇、筋書きに会話に軽妙なウィット満載のコメディーである。前回紹介した「ハックルベリー・フィンの冒険」のようなフロイド的「書きたいのに書けないで、周辺を迷いながら方向を失っている」というような書き手側のコンプレックスや苦しさは、ここには、ない。(ただし、星のこの作品にフロイドの名前はやっぱり登場する・・)
 星新一が出せるものを惜しみなく存分に放出して仕上げたドタバタ探偵コメディーの佳作である。(2017年1月18日)

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