culture & history

痴・愚・迂・拙ーーー狂礼讃

2016年1月13日 水曜日 晴れ

白川静 狂字論 文字遊心 平凡社ライブラリー1359 1996年

中国の人ほど狂の語を愛した民族は、他にないように思う。・・・一般からは「われ狂としてこれを信ぜざるなり」(「荘子」逍遙遊篇)といわれるようなものこそ、真に存在するものであり、大機大用を発揮するものである。正常とされるものの平凡とひ弱さとに対して、それは形相の異常のうちに、強烈な意志と、破壊的な論理をもち、新しい創造への行動力にみちた、ある不合理なるものを意味した。そしてそれがつねに新しい思想を生み、文学を生み、芸術を生んだ。伝統の圧力が強ければ強いほど、その比重の大きさに比例して反撥する。あるいはむしろ、伝統はそのような反作用を招くためにあるのかもしれない。(白川、同書、p130-131)

中国における伝統的な封建的体質は、いまもなお極めて堅固である。・・・ゴシック建築のように組みあげられてゆく漢字は、容易にそこからはみ出すことを許さないのである。この重圧から脱出しようとするとき、人は自らが狂であることを宣言する外なかった。(白川、同書、p131)

・・・このような中国の雅号の傾向からいうと、まさに痴愚礼讃の状態である。痴・愚・迂・拙はいずれも狂的な性格の一端をなすもので、それらを合わせて狂とよぶことができる。(白川、同書、p133)

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