culture & history

陰陽五行と日本原始信仰

2016年12月1日 木曜日 雨のち晴れ/曇り 暖かく(7〜9度C)札幌では雪が融けてしまった。

吉野裕子(よしのひろこ 1916-2008) 日本古代呪術 陰陽五行と日本原始信仰 講談社学術文庫 2016年 (オリジナルは1974年大和書房より刊行。まえがきも1974年付けとなっている。)

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補註 吉野本を学術文庫で見つけたので借りてきた。しばらく休んでいた陰陽五行の勉強の再開である。この課題は私の不得手としている分野である。私は、どちらかというと熱力学の第二法則やローレンツ変換の数式を眺める方が自身の性に合っていると感じる。対照的に、陰陽五行説に関しては何度聞いても、すぐには理解できず、理解できないものは覚えられず、わかったように思えた部分もすぐに忘れてしまう。不得手なのである。しかし、古代、特に万葉集の時代の日本列島の人々・私たちの先祖の暮らしや思いを知るためには避けて通れない課題なので、この季節に勉強を進めておきたい。
  今、気がついたけれど、今年は吉野裕子さんの生誕100年の年であった。

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柛界と人間界は断絶したものではなく、東と西の関係において併存する。それは全く東方の海の彼方というニライカナイの在り方から帰結された思考であって、・・ニライカナイ・常世の把握なしに古代信仰は解明できないのである。東方の柛界、ニライカナイと、西方の人間界は距離によって距てられているだけのことである。そして神であれ、人であれ、東西間を動く、あるいは輪廻するその中間には穴があり、東西間を動くものすべては、この穴を通ることなしには東へも西へも抜け出られないのである。  これが古代日本人によって空間的・時間的にとらえられた世界像と考えられる。(吉野、同書、p26)

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大和朝廷と出雲の関係は呪術的にみる必要があり、異民族間における支配・被支配の関係などというより、むしろ一種の契約関係と見られるべきものである。(吉野、同書、p35)

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「まほろば」の「ほろ」は「書紀」には「ほら」となっている。「万葉」にも

天雲のむかふすきはみ、・・国のまほらぞ・・(「万葉」巻五)

高御座(たかみくら)、・・国のまほらに・・(「万葉」巻十八)とある。

・・ほりくぼんだ処を表現する言葉には「ほら」のほかに「かま」がある。・・「竈(かまど)」も「釜(かま)」もすべて同じこの「かま」に基づいている。
 釜もカマドも、母の胎に形が似るために、神聖なものとされ、信仰の対象となり、家そのものを代表するものにまでなっている。・・・(吉野、同書、p36)

家は母胎の造型であると同時に男女交合の相の造型である(吉野、同書、p40)。同様のことが「戸(へ)」という言葉からも察せられる。
 戸ーーー日本では古来、家を数えるのに「戸(へ)」という言葉が使われている。「戸(へ)」とはカマドである。「古事記」上巻にも・・大戸比売(おおべひめ)神が、諸人の斎(いつ)き祀るカマドの神である、と記されている。
 カマドのカマはホラと同じく凹みを意味する。カマドはカマになった処、凹んだところの意味であったが、現実には火を焚く所、火処(ほと)であって、それは女陰を象徴するものであった。家を数えるのに「戸(へ)」が用いられたことはカマドが家を代表することを示す。それはつまり家とはカマドという女陰の象徴物をもった母の胎である、ということであろう。
 家は小世界であり、同時に母の胎と考えられていた。(吉野、同書、p41)

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