白川静 中国古代の文化 講談社学術文庫441 1979年
2015年11月27日 金曜日 曇りのち晴れのち雨
壺と銅鐸 壺や甕は神霊の宿るところ;銅鐸は農耕儀礼の楽器
「考古の世界」では、青銅器文化の原質について考えた。それは異民族を圧服するための、荘厳なる呪器であった。江南の大鐃(だいどう)に象徴されるこの聖器の性格は、南方苗(びょう)系諸族のもつ銅鼓、わが国の銅鐸の機能を考えるとき、示唆するものがあるはずである。(同書、p308)
山上の聖器は、わが国にもあった。山坂の上が内外の境とされていることが多いために、そこに榜示の標石をおいたり、壺や甕を埋め、塚を作り、神を祀るなどのことが行われた。・・・(中略)・・・このような銘が壺にしるされているのは、かつて壺や甕がその境界を示す聖なる標識であったからである。壺坂、甕坂という峠名をとどめているところが多い。(同書、p75-76)
銅鼓はおそらく、春耕をはじめる直前に掘り出して、その陽光と、生命の復活としての青蛙や水鳥を迎え、これを鼓って(うって)、春気のとどろく中で耕作の儀礼をし、耕作が終わるとまた埋めて、大地の生成力をそこに象徴させたのであろう。わが国の銅鐸もその用法はおそらく銅鼓と同様であったかと思われる。それはわが国でいう山見(やまみ)の儀礼に、相当するものであろう。壺や甕は、神霊の宿るところであり、また水分(みくまり)的な意味をもったかと思われるが、その土器文化が青銅器文化に進んだとき、農耕儀礼的な意味の著しい銅鐸が生まれたのであろう。そこには江南の大鐃、南人の銅鼓との、親縁を思わせるものがある。(同書、p76-77)
考古の世界は、遠い過去の時代のことのみではない。文化はすべて、このように遙かなところにその源泉を発して、のちにもなおゆたかに流れ続けているもののうちにある。(同書、p77)
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注: みくまり goo辞書によると・・・
み‐くまり【▽水▽分り】 《「水配り」の意》山から流れ出る水が分かれる所。「―に坐 (ま) す皇神等 (すめがみたち) の前に白 (まを) さく」〈祝詞・祈年祭〉
みくまりのかみ【水分神】 日本神話で、水の分配をつかさどる神。天水分神(あまのみくまりのかみ)と国水分神(くにのみくまりのかみ)があり、豊作の神として信仰された。
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