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虚空遍歴

2023年3月17日 金曜日 曇り(9日間の旅を終えて帰ってきた。)

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山本周五郎 虚空遍歴(上・下)新潮文庫 昭和41年(オリジナルは昭和36年から38年まで小説新潮に連載)

「ああ、芸のために人間を利用するようなやつは尊敬しないね、どんなにずばぬけた芸だって芸は芸さ」生田は手酌で酒を注いだが、酒の大半は盃の外へこぼれた、「ーーたかが浄瑠璃ぐらいのために、女ひとりの一生をむだにさせるようなやつは大嫌いだ、そんなやつはつらも見たかあねえや」(周五郎、同書下巻、p15)

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 ・・「いや高慢だ、自分で自分を裁くのは高慢だ、本当に謙遜な人間なら、他人をも裁きはしないし自分を裁くこともしないだろう、侍がおのれにきびしく謙遜で、人には寛容であれというその考えかたからして、腰に刀を差し四民の上に立つという自意識から出たもので、それ自身がすでに高慢なんだ・・中藤(なかふじ)は自分が、他の多くの人間と同じ人間だということを認めなくちゃあいけない・・人間は弱いものだ、知らないうちに罪なこともしよう、悲しければ泣き、はらが立てば怒り、不徳と知りながら不徳なことをする、それが人間なんだ、並木たち四人にがまんがならなかったのは、人間として当然のことだったのさ、」(周五郎、同書下巻、p27)

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 ・・「そしてまた中藤冲也の才能が、時代をぬきんでているためでもありません ーーあれは彼の才能がそれほど高いものでもなく、むしろかたよっていて一般性がない、という正体をみせたものだと云うべきでしょう、」(周五郎、同書下巻、p33)

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 ・・「なにをくそ坊主が」と濤石が肩を振ってせせら笑った、「きさまなどに絵のことがわかってたまるものか」

「それを自分に云えればいいんだがな」と僧は微笑みながら云った、「自分の描いた絵が自分でわからない、つまり心の迷いで眼が見えなくなっているんだ、鳥はおのれの飛ぶことを疑わず魚は泳ぐことを疑わない、まあこれ、人間が人間であることの哀れさだな」

「坊主も空念仏を疑わずだ、自分の説法で人を救えると信じているんだから嗤わせる」と濤石は云った。(周五郎、同書下巻、p149)

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  「なまいきなことを云うようですけれど、人間のすることでむだ骨折りだということはなに一つないと思います、紙屑拾いをして一生を終わっても、やっぱり人間の一生に変わりはないでしょう、あなたの端唄はこんな山の中までも弘まり、いまでもよろこんでうたわれています」

 「端唄のことはよしてくれ」

 「あなたはご自分の端唄に満足ができず、冲也ぶしという浄瑠璃を仕上げようと思いたち、まっすぐに、脇目もふらずにうちこんでいらしった、江戸をでてから今日までの、ひたむきなあなたのお姿ほど、力に満ちた美しいものはほかには考えられません」(周五郎、同書下巻、p357)

Tōshūsai Sharaku (1794) Sawamura Sōjūrō III as Nagoya Sanza.jpg

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あの方が自分の作に満足せず、作っては直し、直したのを作り変え、また初めからやり返す、という苦心を繰り返したのは、一篇の浄瑠璃を纏めあげるのが目的ではなかったからだ。一篇の浄瑠璃を仕上げる以上の、もっと真実な、動かすことのできないなにかを求めていらしったのだ。なにか、というものを現実にとらえようとするために苦心したので、ひとつの浄瑠璃が成功するかしないかなどは問題ではないし、たとえそれがどんなに成功しても、あの方は決して満足はなさらなかったに違いないと思う。(周五郎、同書下巻、p375)

Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going? 『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』

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補註: WS・モームの描く(ストリックランド扮する)ゴーギャンの生を思い浮かべた。

また、以前にこのウェブページに引用したものを思い出した。 をのこやも空しくあるべき 万代に語り継ぐべき名は立てずして。

また、実におこがましくはあるが、私自身の医学研究者としての多くの失敗と挫折を対比させざるを得なかった。

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 ・・「人間はおそかれ早かれ死ぬものだし、おれはもうずっとまえから、死ぬことなんか恐ろしくはなくなっているんだ、この病気が治るか治らないか、あとまた十年も二十年も生きられるか、そんなことはまったく関係がない、今日までおれのやってきたことが、どうやら失敗に終わりそうであり、もしそうだとすれば、おれ自身にとっても、おけいが尽くしてくれた苦労さえも、みんな徒労だったんじゃないか、ということが気にかかってしょうがないんだよ」(山本周五郎、同書下巻、p356-357)

・・「ずるいことを云うようだが、おれの仕事が失敗だときまれば、おけいにかけた苦労はまったくむだ骨折りになってしまう、これまでおけいにかけた苦労はたとえようもなくひどいものだったからな、ーーむだ骨折りではなかった、ということを、おけいの口から聞きたかったんだよ」

 「いつかも云いましたわね、あたしがあなたに付いて来たのは、自分から望んだことよ」とおけいは少しあまえた口ぶりで云った、「ーー苦労だと思ったことなんか一度もないし、ほんの少しでもお役に立ったならそれだけで本望なんですから」

 「ふしぎなめぐりあわせだ」冲也は独り言のように呟いた、「ーー人が聞いても、信じられないだろうな」(山本周五郎、同書、p358)

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